長崎街道」タグアーカイブ

佐賀県鹿島市 鹿島宿跡

鹿島宿多良海道の宿場町。
多良海道は長崎街道の脇道で、
佐賀藩長崎警備に赴く際に、
往来していた街道とされています。


鹿島市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが鹿島宿跡。


鹿島宿跡」。
鹿島川の北側が鹿島宿跡で、
多少は古い家屋も残る通り。… 続きを読む

佐賀県嬉野市 嬉野追分

長崎街道本道(塚崎道)と塩田道が合流し、
嬉野湯宿へ続く嬉野追分(下宿追分とも)。


嬉野町下宿周辺。
緑の線が本道で青い線が塩田道。
その合流点が嬉野追分。


嬉野追分」。
嬉野湯宿側より撮影。
左が本道で右が塩田道です。… 続きを読む

佐賀県嬉野市 俵坂番所跡

俵坂佐賀藩大村藩の藩境にあり、
佐賀藩側に俵坂口番所が設置され、
佐賀藩の支藩蓮池藩が管理していました。


俵坂集落」。
俵坂口番所跡は俵坂集落にあります。
集落は何となく当時の雰囲気が残り、
良い感じに鄙びている様子。… 続きを読む

佐賀県佐賀市 久保田宿跡

久保田宿長崎街道の間宿。
戦国時代に物資の取引が行われた場所で、
正式な宿場ではありませんが、
そのまま商業地として続いていたようです。


佐賀市久保田町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが久保田宿跡。
藩政時代は御親類村田家領でした。


久保田宿跡」。
現在の国道207号が長崎街道で、
現在は道幅が広くなっていますが、… 続きを読む

佐賀県小城市 牛津宿跡

牛津宿長崎街道の13番目の宿場。
米や物資が牛津川の水運で集められ、
水運業者荷受問屋卸問屋等が軒を連ね、
西の浪花と称された程栄えていたという。


小城市牛津周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが牛津宿跡。

西側より散策。

野田家跡続きを読む

長崎県西彼杵郡 時津湊

浦上街道の終点である時津湊大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。


時津港周辺。緑の線が街道筋で、
小さな赤丸は茶屋跡と、
日本二十六聖人上陸の地


時津湊」。
埋立てで当時とは海岸線も変化。… 続きを読む

長崎県西彼杵郡 時津御茶屋跡

浦上街道の終点である時津湊大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。


茶屋(本陣)」。
大村藩の設置した御茶屋跡
当時の面影のまま現存しています。
当初は現在の中央市場辺りに置かれ、… 続きを読む