下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女… 続きを読む
「長府藩」タグアーカイブ
長府藩と砂糖製造
長府藩は全国に先駆けて和砂糖を製造し、
大坂に販売したとされますが、
現在はそんな形跡は微塵も感じられません。
長府藩の砂糖製造は江戸中期頃、
永富独嘯庵により伝えられました。
独嘯庵は医者ながら殖産興業に関心があり、
藩に進言して白砂糖製造を許され、
安岡浦、横野、綾羅木、… 続きを読む
下関市長府 敬業館及集童場址
長府侍町2丁目路地角の小さな碑。
そこにかつて長府藩の藩校敬業館があり、
一時集童場も置かれていた場所でした。
「敬業館及集童場址」碑。
宗家長州藩の藩校である明倫館は、
5代藩主毛利吉元が創設したもので、… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 朝鮮通信使上陸淹留之地
朝鮮通信使は室町~江戸時代にかけて、
朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。
豊臣秀吉による朝鮮出兵により、
朝鮮との国交は断絶していましたが、
幕府は朝鮮との国交回復を図り、
紆余曲折を経て通信使が再開されます。
慶長12年(1607)に第1回が始まると、
以後12回の通信使が派遣され、
※最後の12回は対馬止まり。
将軍襲封等の祝賀を行いました。
文化8年(1811)の最後の通信使は、… 続きを読む
下関市唐戸町 堂崎の渡し場跡
現在の亀山八幡宮の大鳥居前には、
国道9号線が通っていますが、
往時はすぐ海岸線でした。
亀山八幡宮には海参道が設けられ、
巨大な大鳥居も建立されていますが、
そこには堂崎の渡し場があって、
九州への玄関口となっていたとのこと。
但し渡し場は大鳥居前ではなく、
大鳥居より少し東側だったようで、… 続きを読む
下関市秋根上町 曲水の宴の碑
綾羅木川の支流砂子多川の畔に、
曲水の宴の碑という碑が建っています。
この曲水とは「ごくすい」と読むようで、
曲水の宴は奈良~平安時代に、
宮中で催された歌会だったようで、
水の流れのある庭園等で、
その流れの畔に宴の出席者が座り、
上流の者が上の句を作って杯にのせて流し、
下流の者が盃が流れてくる前に、… 続きを読む
東京都港区 青山霊園/乃木希典墓所
初の青山霊園でのラストは乃木希典の墓所。
乃木は死後に軍神となって祀られ、
赤坂に乃木神社が建立されており、
※京都、栃木、北海道、山口(下関)にも。
乃木神社近く坂は… 続きを読む