普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆が後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む
山口県山口市 普門寺観音堂
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普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆が後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む
一の坂川交通交流広場の敷地に、
「山口大学創基の地」碑があります。
「山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校、
山口経済専門学校、山口師範学校、
山口青年師範学校… 続きを読む
法華寺は徳地にある真言宗寺院。
天平11年(739)に光明皇后の許しを得て、
行基が諸国に創建させた法華寺のひとつで、
長門国法華寺として豊浦村にあったもの。
明治6年に赤間関東南部町に移転し、
更に明治30年に現在地に移転しています。
「法華寺」。… 続きを読む
昌福寺は徳地にある曹洞宗の寺院。
元々は福生寺という尼寺だったようで、
後に荒廃していたものを、
慶長元年(1596)に雲甫永岳和尚が再興し、
正福寺となったとされます。
「昌福寺」。
正福寺は明治3年に… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。
徳地宰判勘場は佐波郡北部21ヶ村を支配し、
敷地は3反(900坪)あったとされます。
「徳地宰判勘場跡」。
徳地宰判勘場跡は梅畑… 続きを読む
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む
上田鳳陽は長州藩の儒学者で、
現在の山口大学の建学の祖とされる人物。
7代藩主毛利重就から13代毛利敬親まで、
鳳陽は7人の藩主に仕えており、
嘉永6年に85歳で死去しています。
山口大学の淵源は鳳陽開設の山口講堂とされ、
命日には… 続きを読む