小郡宿は古くからの山陽道の宿場町で、
山陰道の追分でもあった為、
交通の要所として長州藩から重視されており、
宰判勘場も置かれていました。
小郡周辺。緑の線が西国街道。
北側の青い線は山陰街道となっており、
三ッ辻が起点(終点)となっています。
赤丸の周辺が宿場のあった場所。
残念ながら宿場跡は開発されて面影は無し。… 続きを読む
「山口市」カテゴリーアーカイブ
山口県山口市 常栄寺
井上聞多が総督を務めた鴻城隊は、
長寿寺から常栄寺に本陣を移したとされます。
ただ常栄寺は当時、現在の洞春寺の場所にあり、
藩庁を萩から山口に移転する文久3年に、
移転して現在地にあった妙寿寺と合併。… 続きを読む
山口県山口市 隊中様 宮野政助の墓
明治3年に発生した奇兵隊脱隊騒動では、
藩の軍制改革に不満を持つ諸隊士達が、
山口藩議事館を包囲しましたが、
この騒動に対して木戸孝允は討伐軍を編成し、
武力を持って騒動を鎮圧しています。
騒動の指導的立場の諸隊士ら35名は、
捕らえられて処刑されていますが、
犠牲となった彼らを憐れんだ郷里の人々は、
彼らを「隊中様」と呼んで敬い、
その出身地の各地に墓が建てられました。
今回訪問したのはその中のひとつで、… 続きを読む
山口県山口市 御茶屋跡/山口宰判勘場跡
藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の麓の一の坂川… 続きを読む
山口県山口市 小郡宰判勘場跡/御茶屋跡
長州藩では直轄地を宰判という行政区分に分け、
各地に代官を置いて行政を行わせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が行われています。
「小郡宰判勘場跡/御茶屋跡」。
小郡宰判勘場には御茶屋が併設され、… 続きを読む