[九州地方]」カテゴリーアーカイブ

宮崎県宮崎市 飫肥藩伊東家僑墓

安井家の墓の近くにある飫肥藩伊東家の墓所。
清武薩摩藩と国境を接する重要拠点で、
飫肥藩では重臣を配置してこれを守り、
多くの藩士が在郷していました。
飫肥から遠く離れた清武では、
藩主の墓への参拝出来なかった為、
末寺の文永寺僑墓が建立されています。


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宮崎県宮崎市 安井家墓所

儒学者安井息軒を輩出した安井家は、
飫肥藩伊東家に仕えた家臣でした。
南北朝時代に上野国安井村から移り住み、
出身地から安井姓としたようです。
江戸時代には19代安井朝堯が重用され、
清武奉行に任じられた他、
22代安井朝宣続きを読む

宮崎県宮崎市 伊東祐堯公墓

宮崎市清武にある伊東家墓所
[伊東家祐堯公墓]となってはいますが、
伊東家11代当主伊東祐堯の他にも、
12代伊東祐国や13代伊東尹祐の墓、
更に15代伊東祐吉とされる墓もあります。


伊東家墓所」。… 続きを読む

宮崎県宮崎市 宮崎神宮

宮崎神宮は宮崎市神宮にある旧官幣大社
神武天皇東征以前にを営んだ地とされ、
後に皇孫である建磐龍命が創祀し、
崇神天皇の頃に社殿が創建されたという。
伊東家島津家続きを読む

宮崎県日向市 富高宿跡

富高は元々延岡藩領だったようですが、
元禄5年(1692)に幕府直轄領となり、
富高代官所が置かれました。
宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡


富高宿跡」。
現在の県道226号線沿いが日向街道
片側2車線の広い道路となっており、… 続きを読む

宮崎県延岡市 土々呂湊

土々呂延岡藩領に属す漁村で、
古くは櫛津村土々呂村の2ヶ村でしたが、
正徳年間(1711-1716)に1つの村となりました。
以降は土々呂櫛津村や土々呂村と呼ばれ、
300余石の石高があったとされます。
土々呂湊の擁する漁村ながら、
藩の口番所も置かれていたようで、
出入りの船舶から口銀を徴収。… 続きを読む

宮崎県延岡市 本東寺/有馬康純墓所

本東寺は延岡市にある日蓮宗寺院。
建武2年(1335)の創建とされており、
開基は修験者甲斐法喬隆覚で、
開山はその息子薩摩阿闍梨日叡という。
元々は行勝山にあったようですが、
領主であった土持氏により、
松尾城の鬼門寺として現地に移築。
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