中山忠光まとめ」カテゴリーアーカイブ

下関市豊北町田耕 四恩寺跡

天誅組の変に敗れた中山忠光は潜伏先を転々とし、
田耕大田新右衛門宅に2ヶ月弱潜伏し、
その後、更に奥地の四恩寺に向かいます。

これは僕なりの推測なのですが、
脱走を繰り返し、辺りを歩き回る忠光に、
幕吏の追求を恐れた長府藩俗論派は、
とりあえず四恩寺に座敷牢続きを読む

下関市豊浦町湯玉 庄屋石川邸跡

湯玉浦北浦にある漁村のひとつですが、
鯖釣山が浦を守るように聳えていた為、
良港として漁民のみでなく北前船も寄港し、
旅館なども設置されて栄えていました。
吉田松陰の「廻浦紀略」では、
戸は150戸で、近頃2百余戸になったと書かれ、
繁栄の様子が感じられます。


湯玉港」。
現在も小型の漁船が停泊する港町で、… 続きを読む

中山忠光の逃避行④

つづき。
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中山忠光川棚に潜伏した後、
8月下旬頃に室津観音院に移りました。
ですが正確な日付は不明で、
ただ潜伏したという記録が残っているのみです。


川棚から室津(観音院)への行程。… 続きを読む

中山忠光の逃避行③

つづき。
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常光庵で潜伏することになった中山忠光でしたが、
上畑は戸数十数戸の山里。
川で釣り糸を垂らすだけしかすることはなく、
血気盛んな忠光には耐えられない日々だった様子。

下関外国艦隊が迫っていると噂を聞いた忠光は、… 続きを読む