光明寺党」タグアーカイブ

榊屋仁作②

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文久3年5月16日。
白石正一郎の許に、目明し榊屋仁作から使いが来ます。
今日、藍島から目の下二尺もある鯛が届きました。
 久しぶりに粗酒一献差し上げたいと思いますので、
 ご兄弟揃ってお越し下さい
」との事。
廉作との一件とはうって変わっての様子で、
あまり気は乗らないが、せっかくのお誘いを断っては、
後日の祟りもあろうかと、廉作と2人で馳走に行きます。

攘夷熱の沸騰している下関で、
気の荒い連中が大勢押し寄せてる矢先、
京では目明しが… 続きを読む

天誅組以前の中山忠光⑥

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中山忠光が再び下関にやってくると、
これを好機としたのが久坂玄瑞でした。

京都で活動していた久坂ら尊攘志士30余人らは、
攘夷期限が決定されると下関に向かい、
攘夷戦に参加しようとします。
ですが京都では… 続きを読む

光明寺党の最初の宿泊地はどこ??

白石正一郎日記には、
文久3年4月27日昼。久坂玄瑞率いる30人余の志士が来て、
竹崎の長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
久坂ら志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
細江の光明寺へ転陣しました。この連中が光明寺党

彼等は攘夷戦の急先鋒となるわけですが、
結果は御存じのとおり。

光明寺党は奇兵隊の前身として紹介される事が多く、… 続きを読む