寛永7年(1630)に3代将軍徳川家光は、
上野忍岡5000坪の土地を林羅山に与え、
書院と聖廟を建てさせていますが、
これを羅山が家塾としています。
元禄3年(1663)には5代将軍徳川綱吉は、
神田湯島… 続きを読む
「幕府」タグアーカイブ
東京都台東区 谷中霊園/古屋佐久左衛門墓所
古屋佐久左衛門は筑後国の庄屋の子で、
当初の名前は高松勝次。
家業を嫌い医師を目指していましたが、
後に江戸で洋学も学んでおり、
その際に外国奉行川勝広道の知遇を得て、
御家人古屋久左衛門… 続きを読む
大分県大分市 高松代官所跡
明暦2年(1656)。
大給松平家の支藩する豊後高松藩は、
隣の府中藩に転封となり、
旧領高松は幕府直轄地に代わりました。
豊後高松藩の陣屋は代官所へと変わり、
九州天領を支配する代官が赴任して来て、
同じく天領の日田代官所と交代で在勤。
後に代官は… 続きを読む
下関市阿弥陀寺町 朝鮮通信使上陸淹留之地
朝鮮通信使は室町~江戸時代にかけて、
朝鮮から日本へ派遣された外交使節団。
豊臣秀吉による朝鮮出兵により、
朝鮮との国交は断絶していましたが、
幕府は朝鮮との国交回復を図り、
紆余曲折を経て通信使が再開されます。
慶長12年(1607)に第1回が始まると、
以後は12回の通信使が派遣され、
※最後の12回は対馬止まり。
将軍襲封等の祝賀を行いました。
文化8年(1811)の最後の通信使は、… 続きを読む
東京都文京区 吉祥寺/榎本武揚墓所
吉祥寺にある榎本武揚の墓所。
「海軍中将子爵榎本武揚墓(右)」、
「慧鏡院殿皓林珂月大姉(左)」。
海軍中将榎本武揚の墓と妻多津の墓。
榎本は幕臣榎本武規の次男に生まれ、
蝦夷御用掛の… 続きを読む