東行庵」タグアーカイブ

久しぶりに東行庵へ行ってみた

非常事態宣言も解除されましたし天気も良いので,、
久しぶりに東行庵に行ってみました。


墓所への参道がなんとバリアフリー化していました。
これは嬉しい!


みよちゃんゆきちゃんも歩いて登れます。
今までは抱っこして登ってました。
これは地元の企業が自社の創業70周年続きを読む

4月14日 東行庵

今年の高杉晋作の命日は日曜日。
東行庵では恒例の「東行忌」が行われ、
終焉の地でも顕彰碑前祭が行われました。

たぶん相当の人でしょうから、
幼子2人を連れて行くのも微妙なんで、
昼から東行庵に手を合わせに行きました。



すっかり人が掃けて静かな東行庵。
子供達も手を合わせました。

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 高杉晋作の150回忌の供養祭の様子。
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下関市吉田 東行庵の手栽の碑

晴天の休みの日。
色々と史跡を訪問したりしたいのですが、
先立つものが無ければ遠くに行けない。
そこで久々に東行庵に行ってみました。


東行庵」。
東行庵は、いつ行っても季節の花々が咲いています。


東行池には錦鯉が泳いでいますので、
子供達も退屈じゃない。


高杉晋作像」。
久々ですがまだまだピカピカですね。
変な言い方ですが、早く劣化しないかなって思う。
銅像は… 続きを読む

東行庵の山縣有朋像(昔の)

東行庵には現在、山縣有朋の銅像が建てられています。
平成27年4月14日の東行忌に除幕されたもので、
若き日の名である山縣狂介像と題されました。


山縣狂介(有朋)像」。
東行庵の前身は、吉田に建てられた山縣の草庵「無鄰菴」で、
その草庵を晋作の菩提を弔う梅処尼(うの)に贈ったもの。
「無鄰菴」の名の由来はこの草菴に隣家が無いということ。… 続きを読む

高杉晋作顕彰碑物語⑨(井上馨の演説6)

井上の演説・・・ラスト。
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高杉君が馬関へ出た翌日に、諸隊の長官等も意を決して長府を出立し、伊佐まで進んで、五卿方のうち二人を泰じて萩へ進むという手筈であったが、萩政府がこれを拒んだので、二卿も最早毛利父子へ忠告するの道はこれで終局を告げたというので、長府に帰られた。そこで諸隊もいよいよ戦意を決したのである。

萩政府においては、諸隊がかように騒ぐものであるから、万一目下牢舎申付けている前政府員等を奪われてはならぬと思って、前政府員の前田孫右衛門等七人を惨殺してしまった。この報知が馬関へ達したものですから、高杉君は大いに怒って、これはもはや一日も猶予は出来ぬというので、再び兵を進めて、新地の会所を乗取ってしまった。これがちょうど慶応元年正月二日の事であります。続きを読む