薩長同盟」タグアーカイブ

長崎県平戸市 元回船問屋明石屋永山邸

平戸田助浦の歴史は、安土桃山時代に領主松浦鎮信が、
小値賀島、壱岐、呼子などの領民を移住させ、
湾を整備して発展したことに始まります。
風待ち、潮待ちの港として発展し、捕鯨なども行われ、
最盛期には遊女屋30軒、遊女120人を数える港となり、
平戸を訪れた人は必ず寄る場所とされました。


赤丸の場所が田助浦(田助港)。

上方へ向かう薩摩船の寄港でもあった田助浦は、
多くの薩摩藩士が訪れています。
西郷吉之助(隆盛)もその一人でした。


旧角屋 主屋続きを読む

晋作と西郷は会っていたのか?2

ちょっと前に書いた記事「晋作と西郷は会っていたのか?」に対して、
ブログ「郎女迷々日録 幕末東西」の郎女様が、
アンサー的な記事で色々調べて下さいました。
下記がその記事です。
珍大河『花燃ゆ31』と史実◆高杉は西郷と会ったか?
珍大河『花燃ゆ32』と史実◆高杉晋作伝説の虚実

郎女様も二人は会っている可能性が高いと結論付けられたようですが、
面白い推理をされており、僕はこの推理に納得すると共に、
二人が会っている事を確信した次第です。

郎女様は、西郷と諸隊の会合と、晋作との会合は別件続きを読む

晋作と西郷は会っていたのか?

高杉晋作西郷隆盛は、面識が無かったとされています。
yafoo!知恵袋などでも、よくそういう答えが見受けられますね。

大概が会う機会があったけれども、晋作が会わなかったというもの。
晋作は他藩の人間を信用せず、特に西郷が嫌いだったとか・・。

でもこれ、司馬遼太郎の受け売りなんですね。
司馬の小説「世に棲む日日」で、外国公使襲撃計画を、
久坂玄瑞が土佐の武市半平太に漏らし、それが回り巡って藩主にバレたことで、
他藩の人間は信用ならんということになる。
それで「世に棲む日日」の晋作は、西郷や… 続きを読む