長府報国隊」タグアーカイブ

下関市後田町 戦場ヶ原公園

戦場ヶ原公園
この殺伐とした名称の公園は、
一聞すると古戦場であろうと想像しますが、
別に古戦場だった訳ではありません。

幕末期には長府報国隊教練場となり、
明治期以降は大規模な要塞となっていますので、
古戦場ではないにしろ戦争に関係ない訳でなく、
戦場ヶ原の名称が付けられてもおかしくない。
いつからそう呼ばれたのかは諸説がありますが、
幕末期には… 続きを読む

下関市椋野町 椋野陣屋跡

下関は幕末の重要な事件が多数発生しており、
攘夷戦功山寺挙兵小倉戦争など。
幕末史跡の多い場所なのですが、
明治以降に大規模な下関要塞が建設された他、
空襲での破壊、戦後の発展などに伴い、
多くの遺構が失われています。
今回取り上げる椋野陣屋跡続きを読む

下関市長府 功山寺(長府藩家老三吉家墓所)

長府藩家老三吉家は主席家老細川家に次ぐ次席で、
吉見庭田など1500石を領していました。
※長府藩家老家は他に、三澤家、伊扶家、桂家、
毛利家、田代家、西家。

三吉氏は元々備後の国人で、尼子家大内家に従属しましたが、
大内家が滅ぶと… 続きを読む

下関市長府 功山寺(豊永長吉(印藤聿)墓所)

豊永長吉は幕末期の坂本龍馬との交友から、
印藤聿としての名の方が知られています。
本来は幕末を生き延びて明治に活躍した人物は、
明治以降に名乗った姓名で知られる訳ですが、
坂本龍馬ありきで語られる事が多い分、
幕末期の名前で呼ばれる事が多いようです。
※ここでも印藤聿に統一します。

彼の墓は功山寺墓地にあります。

豊永長吉墓」。
所狭しと並ぶ功山寺墓地において、… 続きを読む

下関市長府 功山寺(泉十郎(野々村勘九郎)墓所)

長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
十一歳で同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。

家督相続の後、文久3年には藩奉行職を務めながら、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や三吉慎蔵も参加。
元治元年11月17日に五卿続きを読む