長府報国隊」タグアーカイブ

下関市長府 功山寺(長府藩家老三吉家墓所)

長府藩家老三吉家は主席家老細川家に次ぐ次席で、
吉見庭田など1500石を領していました。
※長府藩家老家は他に、三澤家、伊扶家、桂家、
毛利家、田代家、西家。

三吉氏は元々備後の国人で、尼子家大内家に従属しましたが、
大内家が滅ぶと… 続きを読む

下関市長府 功山寺(豊永長吉(印藤聿)墓所)

豊永長吉は幕末期の坂本龍馬との交友から、
印藤聿としての名の方が知られています。
本来は幕末を生き延びて明治に活躍した人物は、
明治以降に名乗った姓名で知られる訳ですが、
坂本龍馬ありきで語られる事が多い分、
幕末期の名前で呼ばれる事が多いようです。
※ここでも印藤聿に統一します。

彼の墓は功山寺墓地にあります。

豊永長吉墓」。
所狭しと並ぶ功山寺墓地において、… 続きを読む

下関市長府 功山寺(泉十郎(野々村勘九郎)墓所)

長府藩の尊攘派の首領格といえば泉十郎
長府藩士荻野十郎左衛門の次男として生まれ、
十一歳で同藩士野々村合左衛門次晋の養子となります。
※野々村家は130石馬廻格。

家督相続の後、文久3年には藩奉行職を務めながら、
青年藩士らを集めて精兵隊を組織。
※福原和勝や三吉慎蔵も参加。
元治元年11月17日に五卿続きを読む

大分県宇佐市 四日市陣屋跡

豊前四日市は中津藩小笠原家8万石の所領でしたが、
3代藩主小笠原長胤の悪政をみかねた幕府は、
長胤を改易して、本家小倉藩小笠原家預かりに処します。
しかし「祖先の勤労」に免じて断絶は免れ、
長胤の弟小笠原長円に半知4万石で家督相続させました。

没収された4万石は天領となり、
代官所が置かれて陣屋が築かれています。
これが豊前四日市代官所で、後に天草代官支配を経て、
西国筋郡代の支配となりました。… 続きを読む

大分県宇佐市 佐田秀の歌碑と墓所

代官所を襲って討幕の挙兵をしながらも、
味方に討たれた悲劇の志士佐田秀(ひずる)。
その佐田秀の歌碑と墓所が、
宇佐市安心院町内川野及び古川にあります。


安心院町県道716号線周辺
(a佐田秀歌碑,b佐田秀墓所)

まずは歌碑から。

佐田秀歌碑」。
佐田秀は、志士でありながら歌人としても優れ、… 続きを読む