男谷精一郎、大石進と並び、
天保三剣士と称されている島田虎之助。
勝海舟の剣の師としても知られ、
下関にも縁のある人物です。
(記事はこちらとこちら)
中津藩士島田市郎右衛門の子として生まれ、
剣術師範… 続きを読む
「大分県」カテゴリーアーカイブ
大分県杵築市 杵築城跡
国東半島の付け根に位置する杵築藩城下町は、
現在も藩政時代の建造物が数多くのこり、
町の区画は美しい景観を見せてくれます。
「杵築城天守」。
一国一城令により杵築城は山頂部が破棄され、
規模が縮小されて陣屋規模となりました。
天守も取り壊されて再建されておらず、
この天守はシンボルとして建てられもの。
模擬天守とはいえ天守があるのとないのでは、
その雰囲気は全然違います。
杵築市周辺から集められた石塔群。
本丸跡付近に並んていますが、
石塔、石灯籠、石碑などその数に圧巻です。
「小串邦太 小串為八郎兄弟の碑」。… 続きを読む
大分県大分市 府内城跡
府内は文字通り豊後国の国府があった場所で、
かつては大友氏の本拠地でしたが、
大友吉統が豊臣秀吉に改易された後、
府内は福原長堯に与えられています。
秀吉の死後に石田三成が失脚すると、
光成派の長堯は府内を没収されており、… 続きを読む
大分県大分市 佐賀関/海舟龍馬宿泊地
長州藩の攘夷決行に対抗する為、
四ヶ国艦隊は下関への攻撃を決定しますが、
勝海舟はこれを制止する為に長崎へ向かい、
これに坂本龍馬も同行しています。
神戸から第二長崎丸に乗り込んだ一行は、
文久4年2月15日に佐賀関に到着。
そこから陸路を長崎に向かいました。
佐賀関は熊本藩飛地で四国の玄関口であり、
当時は大変な賑わいであったとされます。
幕府の使節として上陸した勝ら一行は、… 続きを読む
大分県杵築市 養徳寺/杵築藩能見松平家墓所
「養徳寺」。
杵築藩能見松平家の国許菩提寺。
男はつらいよのロケ地だそうで、
沢田研二の墓参りが撮影されたという。
「6代松平親貞」「7代松平親賢」。
藩主の墓はこの2つだけ。
幕末の藩主ではありません。
小譜代大名は所領にまとまった墓所が無く、
江戸にあるパターンが多いのですが、
この二人は杵築で死去したため為、
ここに葬られました。
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大分県速見郡 龍泉寺/瀧廉太郎墓所
箱根八里や荒城の月の作曲者瀧廉太郎。
彼は明治12年の生まれで、
このブログの範囲からは外れるのですが、
日出藩重臣の子ということもありますので、
重臣の墓を訪ねるつもりで紹介致します。
初代藩主木下延俊の家臣瀧俊吉を初代とし、
瀧家は11代に渡り重職を勤めました。
10代… 続きを読む
大分県速見郡 松屋寺/帆足萬里墓所
帆足萬里は日出藩家老帆足通文の三男で、
小浦村の儒学者脇蘭室に学び、
儒学に留まらず経済、物理、天文など、
あらゆる分野の学問を研究。
特に自然科学… 続きを読む