今治藩久松松平家は松平定房の系譜で、
松平定勝の五男であった定房は、
伊勢国長島に7000石を領していましたが、
兄の松平定行が伊予松山藩に転封された際、
同時に今治藩3万石に加増転封となり、
以降は廃藩置県まで今治を治めました。
定房は隠居後は今治で過ごしていましたが、
延宝4年(1676)に死去し、… 続きを読む
愛媛県今治市 今治藩松平家墓所
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今治藩久松松平家は松平定房の系譜で、
松平定勝の五男であった定房は、
伊勢国長島に7000石を領していましたが、
兄の松平定行が伊予松山藩に転封された際、
同時に今治藩3万石に加増転封となり、
以降は廃藩置県まで今治を治めました。
定房は隠居後は今治で過ごしていましたが、
延宝4年(1676)に死去し、… 続きを読む
今治城は藤堂高虎によって築城された平城で、
海水を利用した三重の堀を持っており、
[海城]にも分類されています。
現在は内堀を残して埋め立てられていますが、
堀を覗くと海に生息するサヨリ等が泳いでおり、
現在も海水が流れ込んでいる事がわかります。
「今治城跡」碑。
現在は本丸が吹揚公園として整備されており、
模擬天守… 続きを読む
伊予松山城より1.5km西にある道後温泉。
日本三大古湯のひとつとされ、
万葉集にもその記載が見られます。
聖徳太子も道後温泉に浸かったとされ、
天智天皇や天武天皇など歴代天皇も行幸。
中世には河野通盛が湯築城を築城し、… 続きを読む
徳川家康の異母弟松平定勝は、
桑名藩11万石を与えられ、
定勝系久松松平家の祖となりましたが、
寛永元年(1624)に死去して、
次男松平定行が跡を継ぎました。
2代将軍徳川秀忠は定勝の菩提を弔う為に、
定行に菩提寺の造営を命じ、
桑名領内に崇源院が建てられています。
※現在の桑名市の… 続きを読む