宮城県」カテゴリーアーカイブ

宮崎県石巻市 吉田松陰宿所の跡

吉田松陰東北遊学の際、
嘉永5年5月16日に石巻を訪れ、
仙台藩士粟野杢右衛門宅を訪問。
※粟野は江帾五郎(那珂通高)の義兄。
粟野宅には江帾が滞在している筈でしたが、
松陰らを出迎えに福島方面に赴いており、
行き違いとなっていた為、
粟野の案内で日和山の登って石巻湊続きを読む

宮城県大崎市 天性寺/坂本大炊墓所

坂本大炊は仙台藩士坂本隆景の子で、
開明派であり洋式砲術にも長けており、
目付小姓頭に任じられて、
京都探索方として派遣されました。

仙台藩会津征討勅命が下り、
錦旗続きを読む

宮城県大崎市 満徳寺/戊辰戦役招魂之碑

人取橋の戦いで殿を務め、
父が討死する程の激戦で伊達政宗を逃がし、
この功によって正宗に信頼された鬼庭綱元
後に豊臣秀吉との折衝役も務め、
秀吉からも気に入られています。
※秀吉に鬼が庭にいるのは縁起が悪い
 以後は茂庭に改姓させられています。

しかし秀吉に気に入られ過ぎた為に、
正宗に疑われ隠居されられてしまいました。
その際は隠居料100石で、… 続きを読む

宮城県栗原市 瑞満寺/姉歯武之進墓所

姉歯武之進世良修蔵暗殺の実行犯。
世良は奥羽鎮撫総督府下参謀となり、
総督九条道孝以下500余名と共に、
仙台藩に派遣されていました。
その際の威圧的な態度で、
仙台藩士らの反感を買う事となりました。

姉歯武之進は仙台藩士大河内頼存の弟で、
※どこを調べても兄の名しか見当たらない。
同藩士姉歯忠三郎続きを読む

宮城県白石市 世良修蔵墓所

奥羽鎮撫総督府下参謀世良修蔵は、
傲慢な態度や侮蔑を繰り返し、
それに憤りを感じた仙台藩士らによって、
福島金沢屋で殺され、
その首級は白石に運ばれています。

白石の運ばれた世良の首級は、
月心院に葬られましたが、
明治3年に現在の陣場山続きを読む

宮城県刈田郡 仙台真田氏ゆかりの郷

片倉家で養われた真田信繁の次男大八は、
真田四郎兵衛を名乗り藩士となりますが、
正体を隠すために片倉守信と改めています。
家格は永代召出二番座、蔵米三十貫文で、
後に蔵米支給から知行地に直されました。

知行地は矢附村、… 続きを読む

宮城県白石市 片倉家墓所

片倉小十郎家伊達政宗に仕えた家で、
初代小十郎景綱がその名を轟かせました。
家格は「一門」に次ぐ「一家」でしたが、
家臣で唯一支城を拝領しています。

白石家の墓所は市街西側の愛宕山にあり、
一般の墓地を越えた奥にあります。

「… 続きを読む