長崎市内の墓地はなんというか辛気臭くない。
一般的(?)には墓地っていうものは、
オバケが出そうに感じられるものですが、
まったくそういう感じはありません。
※個人的意見です。
そう感じられる原因は数点あるのですが、
まずは墓地が綺麗に整備されているという事。
平地が少ない為に住宅と墓地が密接しており、
その為に荒れた墓地というのが見られない。
ほんとに綺麗に整備されています。
また全ての墓石が比較的大きい事と、… 続きを読む
長崎県長崎市 お告げのマリア修道会墓地
コメントを残す
長崎市内の墓地はなんというか辛気臭くない。
一般的(?)には墓地っていうものは、
オバケが出そうに感じられるものですが、
まったくそういう感じはありません。
※個人的意見です。
そう感じられる原因は数点あるのですが、
まずは墓地が綺麗に整備されているという事。
平地が少ない為に住宅と墓地が密接しており、
その為に荒れた墓地というのが見られない。
ほんとに綺麗に整備されています。
また全ての墓石が比較的大きい事と、… 続きを読む
現在の大村市立大村小学校の敷地内に、
大村藩の藩校五教館がありました。
九州では最も早く設立された藩校であり、
全国でも7番目に出来た藩校とされます。
4代藩主大村純長によって設立され、
校名は集義館、静寿園と変更された後、
9代藩主大村純鎮によって五教館と改称。… 続きを読む
玖島城下の武家屋敷通りのひとつ、
上小路に斎藤道場跡があります。
「斎藤道場(微神堂)跡」。
大村藩に招かれた剣術指南役斎藤歓之助は、
道場を開いて[微神堂]と名付けました。
藩が神道無念流… 続きを読む
玖島城は大村藩の藩庁。
大村藩の藩主家である大村家は、
鎌倉時代より地頭を勤め、
領主として地名の大村姓を名乗ったまま、
江戸時代も藩主家として存続しました。
もちろん稀な例で長州藩を毛利藩と呼んだり、
薩摩藩を島津藩と呼んだりするような、… 続きを読む
五島列島の中通島に長期出張中。
日曜日も現地休暇ということで、
普通なら史跡めぐりでも・・となるのですが、
中通島の幕末関連の史跡はすでに周り尽くしています。
そんなわけで、今回はどこにも行く予定なかったので、
宿のある魚目をうろついていましたが、
ふと立ち寄った祖父君神社にあった頌徳碑の碑文に、
大久保利通の名がありました。… 続きを読む
仕事で年に数度上五島へ行きますが、
上五島を含む五島列島は全て福江藩領か、
その支藩格の富江領かと思っていましたが、
平戸藩領もあったようです。
新上五島町浜ノ浦周辺(続代官所跡の場所)
中通島西側の道土井、続、… 続きを読む
徳川幕府の時代、
キリスト教は禁教となっていましたが
明治維新によって幕府が倒れた後、
太政官による「五榜の掲示」により、
切支丹の禁止が改めて謳われました。
時はさかのぼって元治元年。
浦上でのプティジャン神父の信徒発見で、
各地に… 続きを読む