五島列島ほぼ全域を支配していた福江藩には、
富江領3000石を支配する分家がありました。
基本的に藩は万石以上の大名の支配機構を指し、
この定義で富江領3000石は藩ではありませんが、
富江五島家は大名格を与えられており、
稀に[富江藩]と呼ばれる場合もあります。
※勿論特殊な事例で足利家の… 続きを読む
五島列島ほぼ全域を支配していた福江藩には、
富江領3000石を支配する分家がありました。
基本的に藩は万石以上の大名の支配機構を指し、
この定義で富江領3000石は藩ではありませんが、
富江五島家は大名格を与えられており、
稀に[富江藩]と呼ばれる場合もあります。
※勿論特殊な事例で足利家の… 続きを読む
長崎県五島市大円寺町にある大円寺は、
五島列島を支配した福江藩五島家の菩提寺。
五島家が宇久家を名乗っていた時代、
16代宇久盛定が松月庵を再興し、
大円寺と改称して五島家菩提寺としました。
「大円寺山門」。
藩主家の菩提寺だけあって立派。… 続きを読む
壇ノ浦の戦いで平家が敗れた後、
平清盛の弟平家盛が宇久島に流れ住み、
宇久氏を名乗ったとされます。
20代当主宇久純玄は豊臣秀吉に臣従し、
朝鮮出兵にも参加しており、
この頃から五島姓を名乗ったという。
その後21代当主五島玄雅が、… 続きを読む
本博多町に設置されていた長崎奉行所は、
寛文3年(1663)の大火で焼失した為、
東役所、西役所の2つに分けられています。
その後に東役所は立山に移転し、
本博多町には西役所のみが残され、
立山役所と西役所で運営されました。
西役所のあった場所は現在の長崎県庁。… 続きを読む
後藤象二郎邸跡から少し歩き、
長崎地方法務局へ。
ここは質商小曽根家邸があった場所。
「勝海舟 坂本龍馬故縁の地 小曽根邸の跡」。
小曽根家の当主小曽根乾堂は、
書家、文人、篆刻家としても有名で、
御璽、国璽を作成した事で知られます。… 続きを読む
五島列島の福江島に出張。
下関から長崎まで電車を乗り継ぎ、
長崎から高速船を使って福江島に行きます。
途中、長崎駅から港に行くまでにある史跡を、
少し時間の余裕があったので寄ってみました。
現在、テレビ長崎のビルのある場所が、
後藤象二郎の旧邸跡らしい。
「後藤象二郎邸跡」。… 続きを読む