立花帯刀家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花内膳家と共に御両家と呼ばれました。
柳河藩2代藩主立花忠茂の三男立花茂虎は、
長兄、次兄が早逝していたにも関わらず、
実母が側室であった為に継嗣とはならずに、
継室の子四男立花鑑虎が家督を相続。
隠居した忠成は茂虎の行く末を案じ、
京都… 続きを読む
福岡県みやま市 立花帯刀家墓所
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立花帯刀家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花内膳家と共に御両家と呼ばれました。
柳河藩2代藩主立花忠茂の三男立花茂虎は、
長兄、次兄が早逝していたにも関わらず、
実母が側室であった為に継嗣とはならずに、
継室の子四男立花鑑虎が家督を相続。
隠居した忠成は茂虎の行く末を案じ、
京都… 続きを読む
原町宿は薩摩街道の5番目の宿場で、
柳河藩領となっていたようです。
藩は領内の5つの町を五ヶ町として指定し、
※瀬高町、三池町、江浦町、原町、野町。
商人、職人の町としていますが、
この原町もその五ヶ町のひとつでした。… 続きを読む
松風の関は筑後国と肥後邦の国境で、
両国を結ぶ唯一の街道が通っていた場所。
※薩摩街道、豊前街道と呼ばれますが、
当ブログでは薩摩街道としています。
「松風の関跡」。
ネットでいくつか散見されるのは、
[幕府直轄の関所が置かれた]とのことですが、
色々と調べるとどうも違うみたいです。
南に南関という… 続きを読む
立花内膳家は柳河藩家中最高位の家格で、
立花帯刀家と共に御両家と呼ばれました。
三池藩藩祖立花直次の三男立花政俊は、
島原の乱で甥の立花種長に代わり、
三池藩兵95名を率いて奮戦。
この功で2000石を与えられますが、… 続きを読む
慧日寺は大牟田市岩本にある黄檗宗寺院。
柳河藩立花家菩提寺福厳寺の4世霊峰和尚が、
荒廃していた浄土宗永昌寺(栄勝寺)を再興し、
宝永2年(1705)に開山したものという。
「本堂」。
創建には柳河藩家老… 続きを読む
玉名郡長洲町にある立花誾千代の墓。
この墓は[ぼたもちさん]として親しまれ、
現在も地域の人々に管理されているという。
立花誾千代は立花道雪の一人娘で、
後継男子のいなかった道雪は、
誾千代に家督を相続させました。
後に高橋紹運の息子立花宗茂と結婚し、
その家督を夫に譲りますが、
紛れもなく立花家当主… 続きを読む
高瀬藩は熊本藩の支藩。
寛文6年(1666)に熊本藩3代藩主細川綱利が、
実弟細川利重に蔵米3万5000石を分与し、
熊本新田藩として立藩させています。
参勤交代を行わない定府大名だったようで、
藩主は江戸の鉄砲洲… 続きを読む