藤堂高虎の異母弟藤堂高清は、
上野城代を務めて寛永17年(1640)に死去。
上野の長者屋敷に葬られたとされます。
その墓所は昭和19年(1944)に海軍に接収され、
伊賀海軍航空基地の建設に伴い、
西側の神道墓地に移転したとのこと。
「月山藤堂問碣」。… 続きを読む
三重県伊賀市 藤堂高清墓所
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藤堂高虎の異母弟藤堂高清は、
上野城代を務めて寛永17年(1640)に死去。
上野の長者屋敷に葬られたとされます。
その墓所は昭和19年(1944)に海軍に接収され、
伊賀海軍航空基地の建設に伴い、
西側の神道墓地に移転したとのこと。
「月山藤堂問碣」。… 続きを読む
藤堂高清は藤堂高虎の異母弟で、
一門藤堂出雲家の家祖。
初陣の大坂冬の陣で奮戦し、
真田丸での戦闘で負傷しています。
翌年の夏の陣では名張城代を命じられ、
出陣を許されませんでしたが、
無断で弟の藤堂正高… 続きを読む
津藩藤堂家の墓所は津の寒松院や、
東京の寛永寺寒松院にありますが、
3代藩主藤堂高久は遺言により、
上野盆地西側の長田山に埋葬されました。
※双方の墓所にも高久の墓はあります。
「藤堂高久公廟… 続きを読む
長寿院は桑名市北寺町の臨済宗寺院。
元々は陽向寺という寺だったようですが、
桑名藩2代藩主松平定行は、
※伊予松山藩初代藩主となる。
正室であった長寿院が死去した際、
実家島津家の宗派が臨済宗だった為、… 続きを読む
智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。… 続きを読む