半学舎は浄圓寺境内に開かれた私塾で、
明治10年に官許を得て開設されました。
「浄圓寺」。
四日市市大鐘町にある真宗大谷派の寺院。
この寺に生まれた大賀賢励は、
幼少期より儒学… 続きを読む
「三重県」カテゴリーアーカイブ
三重県四日市 忠衛門碑
四日市市西大鐘町の県道9号線沿いに、
※員弁四日市線。
忠衛門碑という慰霊碑が建っています。
この辺りは忍藩の飛地だったとのこと。
「忠衛門碑」。
世直し一揆が盛んだった慶応年間。
相次ぐ不作に西大鎮村の村役野呂忠衛門は、
忍藩の代官所に年貢免除を嘆願し、… 続きを読む
三重県津市 楠原宿跡
楠原宿は伊勢別街道の宿場町。
伊勢別街道は関宿の東の追分から分岐し、
三つの宿場を経て津の江戸橋に至り、
伊勢街道と合流します。
楠原宿は三つの宿場のひとつで、
関宿と椋本宿の間に位置しており、… 続きを読む
三重県亀山市 坂下宿跡
坂下宿は東海道の48番目の宿場町。
難所である鈴鹿峠の東側にありました。
江戸時代初期は1.3km西側にありましたが、
慶安3年(1650)に土石流で壊滅した為、
幕府の援助を受けて現在地に移転。
以後は東海道有数の宿場町となり、
大変な賑わいを魅せた宿場だったようです。
「歌川広重 東海道五十三次 阪之下… 続きを読む
三重県津市 上野宿跡
上野宿は伊勢街道の宿場町で、
元々は伊勢上野城の城下町でした。
伊勢上野城は分部光嘉の築城で、
伊勢上野藩2万石の藩庁だった城。
光嘉は安濃津城の戦いで負傷し、
翌年にその傷が元で死去した為、
2代は外孫の分部光信が継ぎますが、
近江… 続きを読む