外海にある出津集落の野道共同墓地に、
ド・ロ神父の墓があります。
神父は仏国ノルマンディー地方に生まれ、
厳格な教育を受けて育ちました。
オルレアン神学校、パリ外国宣教会神学校、
バュー大神学校を経て司祭に叙階。… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
東行庵 2024秋
紅葉を見に東行庵へ。
今年の11月は出張が続いて忙しく、
12月に入ってからの訪問。
流石に[紅葉谷]のモミジは枯れてましたが、
[晋作楓]は綺麗に色付いていました。
東行庵は季節により表情を変え、
何時来ても美しい。
特に秋の紅葉は格別です。
子供らに[わぁすごい!]と言わすだけで、
連れて来た甲斐があります。… 続きを読む
鹿児島県姶良郡 栗野地頭仮屋跡
栗野麓は室町時代に北原氏が治めた地で、
戦国時代に島津家がこれを奪い、
島津義弘が松尾城(粟野城)を拠点とし、
伊東義祐と戦って勝利しています。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、… 続きを読む
鹿児島県姶良郡 霧島山麓丸池湧水
霧島の山麓には至る所で湧水が湧き出し、
人々の上水道や灌漑用水、生活用水として、
古くから利用されていたようです、
湧水は霧島連山栗野岳に降った雨が浸透し、
35年の滞留期間を掛けて湧き出すという。
「丸池(霧島山麓丸池湧水)」。
名前は… 続きを読む
鹿児島県伊佐市 辺見十郎太涙松跡記念碑
明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
「死をとして固守すること四句あまり
ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
あぁ、わがことすでに終る」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。
「辺見十郎太 … 続きを読む
鹿児島県伊佐市 馬越地頭仮屋跡
馬越麓は菱刈家が治めていた地で、
馬越城の城下町であった場所。
永禄10年(1567)に島津家により攻略され、
永禄12年(1569)に島津家の領地となります。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、
地頭仮屋が置かれて麓が形成され、
中央より地頭が派遣されました。
「… 続きを読む
鹿児島県伊佐市 大口地頭仮屋跡
大口麓は薩摩国北端にある外城で、
肥後国との国境近くにあります。
戦国時代には新納忠元が地頭と務め、
国境の備えとして睨みを利かしており、
江戸時代は薩摩藩の直轄領となって、
地頭が詰める地頭仮屋が設置されました。
「… 続きを読む