①/②
つづき。
「劫巖道超居士(中央)」。
7代当主鍋島茂英の墓。
「雲山道政居士(左)」、
「湛然若水大居士(右)」。
8代当主鍋島茂興の墓と、
14代当主鍋島茂元… 続きを読む
長崎県雲仙市 常春寺/神代鍋島家墓所②
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神代の陣屋町南端に下坊墓地があり、
そこが神代鍋島家の墓所となっています。
「下坊墓地」。
石垣に囲まれた下坊墓地。
大きな自然石の墓石が並んでおり、
神代鍋島家初代及び2代当主の墓と、
その一族の墓所となっています。
「孝岳永忠大禅定門(左)」、
「玉雲妙慶大姉(右)」。
神代鍋島家初代当主… 続きを読む
慶長13年(1608)に佐賀藩肥前神代領は、
鍋島直茂の兄鍋島信房に与えられ、
以降は廃藩置県まで神代鍋島家が、
代々神代領を統治してきました。
その拠点となっていた神代陣屋跡には、
神代鍋島家の邸宅が建てられており、
これを平成16年に当時の… 続きを読む
長崎の農家の倅であった草野丈吉は、
安政6年より出島でボーイを務め、
その働きぶりから軍艦で勤務する事となり、
軍艦での雑用、洗濯係を経て、
料理も覚えて見習いコックとなりました。… 続きを読む
慶応元年に神戸海軍操練所は廃止され、
勝海舟は軍艦奉行を罷免され、
勝の私塾神戸海軍塾も閉鎖となります。
坂本龍馬ら塾生の後事を案じた勝は、
彼らの庇護を薩摩藩に依頼。
薩摩藩は彼らに給金を出しており、
海軍塾出身の浪士集団が形成されました。
これが亀山社中となり… 続きを読む
風頭山の坂本龍馬像の程近くに、
写真家上野彦馬の墓所があります。
彦馬は坂本龍馬や高杉晋作等、
多くの志士らの写真を撮影。
日本の最初期のカメラマンでした。
「上野家墓所」。
広く立派な墓域の上野家墓所。… 続きを読む