【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

今更ながら涙袖帖②

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(4)万永元年11月25日(江戸より)
みなみなさまおん障りなふおん事なされ候半と
そんし参らせ候さては先師おん書物着物等
利助見出し候杉蔵かへり候節さしおくり可被下候
蒲團は當分かり申候彌二郎便にまいり候
袷壹枚早速垢衣にきかへ申候
杉蔵紋付壹枚もち参候よしに御座候… 続きを読む

沼野玄昌

新型コロナウイルスの流行が続いてますが、
幕末に流行したのはコロリ(コレラ)です。
コロリ、コロナと一字違いってのも、
なんだか共通点のようにも感じられますが、
感染経路症状致死率もまるで違います。

名の如くコロリと死んでしまう事から、
コロリと呼ばれた訳ですが、
※他にも鉄砲、見急などの名称も。
今流行する新型コロナはそこまでではない。
死者も高齢者や… 続きを読む

西郷隆盛の首級

明治10年9月24日。
鹿児島城山に立て籠もる西郷軍に対し、
城山を完全に包囲した政府軍は、
総攻撃を開始しました。

3日前の21日には、
西郷軍から西郷の助命の為に、
河村主一郎山野田一輔が訪ねて来ますが、
征討総督府参軍川村純義続きを読む

八戸事件

慶応2年12月12日(清:同治5年)、
清国広州の中外新聞に、
香港在住の八戸順叔という日本人の寄稿が、
掲載されたという。

掲載された記事は、
「日本は軍制を改革し新型兵器や軍艦を
 購入、製造し現在既に火輪兵船(蒸気軍艦)
 80隻を所有している。
 また12歳から22歳までの優秀な若者

 14名を選抜しロンドンに派遣。
 留学生らは西洋風の髪型にそろえて、
 ヨーロッパ式の軍服を着用し、
 英語にも精通している。
 江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を
 上海に派遣し火輪兵船を建造。続きを読む