(9)文久2年6月25日(京都より)
あつさつよく御座候處まづまづご無事おんくらし
なされ候半安心いたし候わたしも此せつはかはる事
なくしのき候まま御あんもし下さるべく候杉みなさま
いかかなされ候や此せつははしか大はやりおんくにも
やはり同様にこれあるべく案申候さてさてとのさま
御上京遊ばされ候御事に付而は一方ならぬしんぱい事にて… 続きを読む
「久坂玄瑞」タグアーカイブ
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今更ながら涙袖帖③
今更ながら涙袖帖②
今更ながら涙袖帖①
京都府京都市 霊山護國神社②
光明寺党の最初の宿泊地はどこ??
白石正一郎日記には文久3年4月27日昼。
久坂玄瑞ら30人余の志士がやって来て、
竹崎の長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
その後に細江の光明寺へ転陣しました。
この連中が光明寺党です。… 続きを読む
「少年行」南条範夫
小学校5~6年の頃だったか・・・。
当時は聖闘士聖矢が流行っていて、
少年ジャンプやアニメを視ていたのですが、
ある日書店に行くと、
見慣れぬ本が売られていました。
聖闘士聖矢の単行本とは明らかに違うのに、
表紙は聖闘士聖矢に登場する黄金聖闘士が、
車田正美ではない絵で描かれていました。
タイトルは忘れましたが、
「聖闘士聖矢千夜一夜」みたいな感じ?… 続きを読む