勝海舟」タグアーカイブ

長崎県長崎市 福済寺

福済寺は長崎にある黄檗宗の寺院。

江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に寺請制度が成立されると、
華僑達も寺請証文続きを読む

長崎県長崎市 小曽根乾堂墓所

小曽根乾堂は長崎屈指の豪商で、
坂本龍馬の支援者として知られますが、
他にも書画月琴陶芸の他、
篆刻の才に優れていたようです。

小曽根家の代々墓所は晧台寺墓地でしたが、
乾堂の墓は市街より南の大平寺墓地続きを読む

和歌山県和歌山市 勝海舟寓居地

文久3年4月3日。
当時軍艦奉行であった勝海舟は、
海岸砲台検分の為に紀州藩を来訪。
加太和歌浦の海岸沿いの砲台を、
約30ヶ所も検分しています。
この検分の拠点となったのが、
両替商を営む清水平右衛門邸とのこと。


勝海舟寓居地続きを読む

福井県敦賀市 敦賀湊跡

敦賀湊は古来よりの大港でしたが、
江戸時代には日本海沿岸の諸大名の多くが、
上り米特産品の輸送を敦賀湊経由とし、
また畿内の手工業生産物である下り荷は、
敦賀湊を経由して全国に普及しました。
これらによって敦賀は中継商業が発展し、
問屋続きを読む

長崎県長崎市 矢上宿跡

矢上宿長崎街道島原街道の追分にあり、
佐賀藩家老諌早家の知行地で、
幕府領との境界に接していました。
長崎代官所支配地。


長崎市八神町周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線が島原街道北目道
青でぼかした辺りが矢上宿跡。… 続きを読む

長崎県長崎市 本蓮寺

天正19年(1591)、葡国人船長の寄附により、
長崎に日本初のハンセン病病院が建設。
聖ラザロ病院と名付けられ、
聖ジョアン・バウチスタ教会が併設ましたが、
徳川幕府禁教令によってこれらは破却され、
その跡地に日恵本蓮寺を創建します。
日恵は加藤清正より拝領した兜をかぶり、… 続きを読む

熊本県天草郡 天草代官所跡②

つづき。
/②

富岡城二の丸駐車場より坂を登ると、
二ノ丸跡の石垣が見えてきます。

二ノ丸石垣」。
富岡城は大きな城ではありませんが、
天草四郎の一揆勢の猛攻に耐えています。


石垣が不規則で珍しいなと思ったら、
これは3重の石垣を残して再現されたもの。
1番奥が唐津藩時代のもので、
一揆勢の攻城の痕跡が残る石垣。
2番目がその石垣を隠す為の… 続きを読む