芦屋宿は唐津街道の宿場町。
旅籠(平旅籠や飯盛旅籠)や木賃宿が多く、
江戸中期までは賑わっていたようですが、
街道メインが木屋瀬宿経由となってからは、
宿場としての繁栄は少なくなっています。
とはいえ遠賀川の河口に位置した為、
年貢や特産品の積出港として大いに栄え、
裕福な商家が軒を連ねていたという。
芦屋西浜町、幸町周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
福岡県北九州市 芦屋宿跡
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芦屋宿は唐津街道の宿場町。
旅籠(平旅籠や飯盛旅籠)や木賃宿が多く、
江戸中期までは賑わっていたようですが、
街道メインが木屋瀬宿経由となってからは、
宿場としての繁栄は少なくなっています。
とはいえ遠賀川の河口に位置した為、
年貢や特産品の積出港として大いに栄え、
裕福な商家が軒を連ねていたという。
芦屋西浜町、幸町周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
若松宿は洞海湾の入口に形成された宿場町。
戸畑からは渡し船が出ており、
現在も若松区、戸畑区を結んでいます。
江戸初期から中期までの若松宿は、
唐津藩、福岡藩の参勤交代に使われ、… 続きを読む
唐津街道を小倉宿より海岸沿いを進み、
刑場を越えて内陸に入る坂に、
少々品の無い名称が付けられています。
「きんたま坂」。
それ程急ではない変哲もない坂。
上側に金玉坂の石柱があったようですが、
現在は失われてしまったようです。
この品の無い名称の由来ですが、
付近に住む木こりが囲炉裏の火で、
誤って急所… 続きを読む
青柳宿は唐津街道の宿場町。
畦町宿と筥崎宿の間に位置し、
慶長10年(1605)頃に上町、横町が整備され、
寛永2年(1625)に下町、中脇、
承応2年(1653)に新町… 続きを読む
畦町宿は寛永19年(1642)に、
福岡藩2代藩主黒田忠之が造らせた宿場町。
当時は青柳宿~赤間宿の距離に宿場はなく、
遠すぎて不便だと中間地点に設置したもの。
その為に本陣や脇本陣はありません。
この宿には河井継之助も宿泊していました。… 続きを読む
唐津街道は小倉の常盤橋を起点として、
福岡城下を経由して唐津に至り、
平戸城下まで伸びる街道。
福岡宿は福岡城北側にある簀子町に置かれ、
旅籠が軒を連ね人馬継所が設置されました。… 続きを読む
常盤橋は小倉藩が細川家であった時代に、
城下の紫川東側と西側を結ぶ橋として、
架設されたものとされています。
長崎街道の他に、中津街道、秋月街道、
唐津街道等、九州各地の諸街道は、
この常盤橋に繋がっており、
各街道の起点となっています。… 続きを読む