大村益次郎」タグアーカイブ

島根県益田市 妙義寺(再訪)

妙義寺は益田市にある曹洞宗の寺院で、
文永年間(1264-1275)の創建とされ、
始めは臨済宗の寺院であったという。
応永元年(1394)に益田家13代益田秀兼が、
寺領370余石を寄進し曹洞宗に改宗。
弘治年間(1555-1558)には19代益田藤兼が、
大寧寺14世繁興存栄続きを読む

石州戦争(石州口の戦い)①

①/

第二次長州征伐幕府長州侵攻を決定。
芸州口大島口小倉口石州口から、
長州藩の領内へ侵攻する事とします。
これに対する長州藩側の戦略としては、
他の戦線は… 続きを読む

京都府京都市 佐久間象山 大村益次郎遭難地

高瀬川の西岸に佐久間象山と、
大村益次郎の遭難地の碑があります。
彼ら2人には直接の接点が無いのですが、
何の因果か二人はこの付近で襲撃され、
非凡な才能を散らすことになりました。


木屋町通りより見る高瀬川向いの2つの碑。
佐久間象山は元治元年7月11日、
木屋町通りの路上で。
大村益次郎は明治2年9月4日、
この向いの長州藩控屋敷で襲撃されました。


象山先生遭難之碑」。… 続きを読む

山口県山口市 大村益次郎墓所(再訪)

鋳銭司大村益次郎墓所を訪れたのは6年前。
近くまで来たので久々に行ってみました。

明治2年9月3日。
大村益次郎は京都三条木屋町の旅館で、
長州藩大隊指令静間彦太郎や、
加賀藩藩士安達幸之助らと会食。
夕刻に男が訪ねて来て面会を申し込み、
取り次ぎに萩原秋蔵続きを読む

京都府京都市 霊山護國神社②

つづき。
/②//

梅田雲浜の碑よりさらに上へ。
長州藩勤皇志士らの墓域に入ります。

長州勤王烈士墓域」。
禁門の変等で殉難した長州藩士らの墓碑。

長州勤王烈士墓域より石段を挟んだ先に、
小さな社殿があります。

山口藩招魂社(右)」、
霊山招魂社続きを読む

愛媛県宇和島市 大村益次郎住居跡

村田良庵緒方洪庵適塾で蘭学を学び、
頭角を現して塾頭を勤めた後、
鋳銭司に帰って医者を開業しています。

高野長英を失った宇和島藩では、
高野に代わる蘭学者を求めていましたが、
そこで白羽の矢が立ったのが、
二宮敬作を訪ねに来ていた村田でした。

一流の蘭学者と認められた村田は、
宇和島藩主伊達宗城続きを読む