村田良庵は緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、
頭角を現して塾頭を勤めた後、
鋳銭司に帰って医者を開業しています。
高野長英を失った宇和島藩では、
高野に代わる蘭学者を求めていましたが、
そこで白羽の矢が立ったのが、
二宮敬作を訪ねに来ていた村田でした。
一流の蘭学者と認められた村田は、
宇和島藩主伊達宗城… 続きを読む
村田良庵は緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、
頭角を現して塾頭を勤めた後、
鋳銭司に帰って医者を開業しています。
高野長英を失った宇和島藩では、
高野に代わる蘭学者を求めていましたが、
そこで白羽の矢が立ったのが、
二宮敬作を訪ねに来ていた村田でした。
一流の蘭学者と認められた村田は、
宇和島藩主伊達宗城… 続きを読む
大阪での商談時間に余裕があった為、
周辺の碑を巡ってみることにしました。
大阪に住んでいた事がありましたが、
久しぶりの大坂は結構変わっていました。
駅前は開発されているのは当たり前ですが、
驚いたのは地下鉄の運賃が安くなっている事。
市営から民営化されたようです。
さて四ツ橋線肥後橋駅より西側。
金光教玉水記念館の脇に、
頼山陽の誕生地の碑があります。… 続きを読む
大道‐秋保間の県道25号線の側道に、
大楽源太郎の墓所への入り口があります。
「大楽源太郎先生墓所入口」。
これ行けるの?というような入口。
奥もけもの道のようになっていますが、
迷わずにたどり着けます。
少し行くと3つの墓石が現れました。
そのひとつが大楽源太郎の墓です。… 続きを読む
慶応2年。
大楽源太郎は大道の上り熊という場所に、
西山塾(西山書屋)という私塾を開設します。
高杉晋作の功山寺挙兵により、
長州は内訌戦に移行。
大楽も忠憤隊を組織して参戦しました。
この内訌戦の末に正義派政権が誕生し、… 続きを読む
中国自動車道山口ICを下りた北側に、
かつて柊刑場がありました。
その跡地に数基の石碑が設置されています。
「柊刑場跡」。
柊交差点東側の坂道を登ると広場があり、
そこに碑や説明板が並んでいます。
柊刑場は長州藩が山口に藩庁を移した際、
処刑場となった場所。
倉敷浅尾事件… 続きを読む
市街から国道9号線で北東に行った阿東は、
日本におけるリンゴの最南端の特産地。
青森や長野で栽培される印象がありますが、
阿東は標高250~300mもあり、
冬の気温は-10℃にもなります。
そういう気候が栽培に適しているらしく、
国道沿いには直売所などが立ち並び、
アップルパイなんかも売られていて、… 続きを読む