①/②
つづき。
本丸跡から大手門跡へ。
※西ノ門跡より散策を開始しています。
「大手門跡」。
小倉城の正門にあたる大手門跡。
細川忠興が小倉城を築城した当時は、
現在の西ノ門跡が大手門でしたが、
小笠原家の時代にこちらに編網されました。… 続きを読む
福岡県北九州市 小倉城跡(再訪)②
コメントを残す

開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)… 続きを読む
慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠と狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部… 続きを読む
光明寺墓地にある奇兵隊士の墓。
「奇兵隊伊東禎三祐久墓」。
奇兵隊士伊東禎三の墓。
小倉城を自焼させた小倉藩は、
香春に本陣を置いて防戦を構えを見せ、
秋月街道の要所金辺峠を固めると共に、… 続きを読む
小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
秀政の死後に宗玄寺に改めています。
小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む
甲宗八幡神社は門司にある神社で、
宇佐神宮より八幡神を岩清水に分祀する際、
門司関で瑞兆が起こった為、
これを喜んだ清和天皇の勅願により、
八幡神が分祀されて創建。
神功皇后着用の甲冑が奉斎されたという。
壇ノ浦の戦いの際は… 続きを読む