妙恵会総墓所にある代官石原家の墓所。
石原家は代々幕府領の代官を務めた家系で、
下笠代官や四日市代官、大津代官等に就任。
江戸時代後期は大津代官を代々務めて、
幕末の当主石原清一郎正美は、
大津代官所の最後の代官… 続きを読む
京都府京都市 妙恵会総墓所/石原家墓所
コメントを残す

妙恵会総墓所にある代官石原家の墓所。
石原家は代々幕府領の代官を務めた家系で、
下笠代官や四日市代官、大津代官等に就任。
江戸時代後期は大津代官を代々務めて、
幕末の当主石原清一郎正美は、
大津代官所の最後の代官… 続きを読む
妙恵会総墓所にある喜多村石見守正秀の墓所。
殆ど資料が見当たらない人物ですが、
千葉周作を描いた司馬遼太郎「北斗の人」では、
浅利又七郎が剣術指南した旗本として登場。
周作も中小姓として奉公しています。… 続きを読む
斑鳩寺にある下間池田家の墓所。
本願寺坊官下間頼龍の長男下間頼広は、
門主教如と相性が悪かった為に出奔。
叔父にあたる池田輝政を頼って仕え、
その継嗣池田利隆の補佐を命じられました。
輝政の死後に利隆が家督を継ぐと、… 続きを読む
梅岳寺は播磨国守護赤松則祐によって、
城山城の鬼門に建立した城禅寺に始まります。
やがて赤松家の衰退によって荒れ果てますが、
慶長10年(1605)に密室祖顕が現在地に移し、
寺名を梅岳寺に改めて臨済宗妙心寺派とし、
後に新宮藩3代… 続きを読む
新宮陣屋は池田重利により築かれた陣屋で、
尼崎藩1万石を領していた重利が、
宗家の鳥取藩転封に伴い鵤藩に移り、
更に本拠を新宮に移した際に建てられたもの。
新宮藩の藩庁として機能しましたが、
藩主家は4代で無嫡改易。
後に3000石の旗本… 続きを読む
青山霊園にある勝家の墓所。
「勝家之墓」。
この墓は勝海舟の嫡男勝小鹿の墓で、
妻の恵以が死去した際に建立され、
後に小鹿も埋葬されました。
その後に昭和28年に勝家菩提寺清隆寺より、
馬屋亀吉他2基、勝市郎右衛門… 続きを読む
青山霊園に再訪。
今回も出来る限り調べた墓を探して、
猛暑の蒸し暑い中を駆け回りました。
まずは幕臣木村芥舟の墓から。
「木村芥舟一族之墓」。
木村芥舟とその一族の墓。
木村家は浜御殿奉行を7代務めた家系で、
芥舟も見習として出仕していますが、
才能を見出されて出世を重ねました。
西の丸目付から長崎海軍伝習所取締… 続きを読む