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霊巌寺は元々挙母にあったようで、
挙母藩初代藩主となった三宅康貞が再興し、
三宅家の菩提寺にしていたようですが、
4代三宅康勝が田原藩に転封された際に、
霊巌寺も田原に移しています。
「山門」。… 続きを読む
元和7年(1621)に旗本立花種次は、
5000石を加増されて1万石に達します。
大名となった種次は新町に三池陣屋を構え、
同時に菩提寺の紹運寺を創建。
伯父の柳河藩初代立花宗茂の援助を得て、
藩政の確立を精力的に行こないますが、
10年の治世の後に病死してしまい、
紹運寺に葬られています。
「紹運寺… 続きを読む
高傳寺には龍造寺家、鍋島家墓所の他、
佐賀七賢人のひとり副島種臣と、
その兄の枝吉神陽の墓があります。
「枝吉家墓所」。
枝吉家は代々槍術師範を務める家柄で、
足軽頭の身分であったとされますが、
2人の父枝吉南濠… 続きを読む
慶田寺は15世紀の創建とされ、
芝村藩織田家菩提寺となった曹洞宗の寺院。
「山門」。
山門は芝村陣屋南門を移築したもの。
正面は水田となっていますが、
それが堀の様な感じになっており、
参道はその水田を迂回しています。
「本堂」。… 続きを読む
常安寺は鳥羽藩初代藩主家の九鬼家、
最後の藩主家稲垣家の墓所。
はじめ大福寺という真言宗の寺でしたが、
九鬼嘉隆によって曹洞宗に改められました。
しかし嘉隆は関ケ原の戦い… 続きを読む