富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。… 続きを読む
山口県熊毛郡 富永有隣終焉之地
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富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。… 続きを読む
富永有隣は富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘で右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む
吉田松陰墓所近くに松陰誕生地もあります。
松陰の祖父杉七兵衛常徳の時代、
城下にあった杉家の屋敷は火災で全焼。
仕方なく団子岩の山荘に移住しました。
※この山荘は藩士で俳人の八谷聴雨の別荘。
樹々亭と呼ばれていたようですが、
これは田上菊舎が名付けたもので、
購入資金は松陰の母瀧の実家の… 続きを読む
松陰神社前のバス停の後ろあたりは、
吉田松陰門下の松浦松洞の生まれた場所です。
「松浦松洞誕生之地」。
バス停後ろはちょっとした庭となっていて、
上の写真の誕生之地碑の他、
庭石が置かれ歌碑なども建てられており、
松洞園と名付けられています。… 続きを読む
萩の松陰神社は吉田松陰の実兄杉民治が、
実家の邸内に土蔵造りの祠を建立して、
松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を御神体とし、
その祠に祀ったのがはじまり。
その後、伊藤博文、野村靖ら門下生が、
宮崎八幡… 続きを読む