第二奇兵隊」タグアーカイブ

山口県大島郡 世良修蔵招魂碑

世良修蔵東北諸藩に不遜な態度を取り、
[奥州皆敵]と記された密書を書いた為、
これに激怒した仙台藩士に殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は鬼畜のような扱いを受けています。… 続きを読む

山口県柳井市 妙円寺/月性関連史跡

[げっしょう]の名を持つ勤皇僧が、
幕末期に二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊攘派の僧月照
もう一人が海防僧と呼ばれた月性でした。

月性は妙円寺続きを読む

岡山県総社市 浅尾陣屋跡

豊臣秀吉の旗本であった蒔田広定は、
父の蒔田広光が死去すると、
その跡を継いで1万石の大名となりましたが、
関ヶ原の戦い西軍に属したために改易。
後に舅であった大島光義や、
親交のあった浅野行長らの尽力で許されて、
備中浅尾に転封となり… 続きを読む

大島戦争(大島口の戦い)③

続き。
//③

6月16日。夜明け頃。
野営していた浦滋之助配下の秋良政一郎は、
久賀沖に停泊しているはずの幕府艦隊が、
いつの間にかいなくなっているのを発見。
秋良はこれを攻勢の好機と見て、
本陣の西蓮寺続きを読む

大島戦争(大島口の戦い)②

続き。
/②/

大島攻撃は山口政事堂へ伝えられますが、
大島より山口までは約1日の期間を要し、
6月7日長崎丸の攻撃の一報は、
山口政事堂に翌8日にもたらされました。
これを聞いた山口政事堂の藩政府は、
長崎丸の砲撃を威力偵察と判断して、
動揺せずに待敵の姿勢を崩さないように
と大島に通達。… 続きを読む

岡山県倉敷市 倉敷代官所陣屋跡

倉敷に出張に行ってきました。
思ったより早く仕事が終わったので、
倉敷美観地区に行ってみます。

倉敷は幕府直轄地(天領)だったようで、
物流の拠点として大いに栄えていました。
現在は市の美観地区景観条例に基づいて、
当時の街並みが状態良く保存され、
天領時代の町並みを残しています。


倉敷川畔」の街並み。
平日にもかかわらず観光客が沢山。
学生達はすでに休みだからでしょうね。
意外な事(?)に女子旅を多く見かけました。

幕末の慶応2年4月10日。
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山口県柳井市 赤禰と世良の屋敷跡

克己堂跡から南に数百m南下した場所に、
屋敷跡の碑が建てられています。


奇兵隊総督 赤祢武人屋敷跡」。
克己堂跡から南に数百m南下した場所に、
屋敷跡の碑が建てられています。
赤禰武人柱島の島医の子でしたが、
浦家家臣赤禰雅平の養子となりました。
ここはその赤禰家の屋敷であった場所。


奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵屋敷跡」。
赤根の屋敷から更に数百m南下した所に、… 続きを読む