世良修蔵は東北諸藩に不遜な態度を取り、
[奥州皆敵]と記された密書を書いた為、
これに激怒した仙台藩士に殺害されました。
この事が奥羽越列藩同盟成立に繋がり、
戊辰戦争への引き金となった訳で、
世良は鬼畜のような扱いを受けています。… 続きを読む
「第二奇兵隊」タグアーカイブ
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山口県柳井市 妙円寺/月性関連史跡
[げっしょう]の名を持つ勤皇僧が、
幕末期に二人いました。
一人は清水寺成就院の住職で、
西郷隆盛と入水自殺した尊攘派の僧月照。
もう一人が海防僧と呼ばれた月性でした。
月性は妙円寺… 続きを読む
岡山県総社市 浅尾陣屋跡
豊臣秀吉の旗本であった蒔田広定は、
父の蒔田広光が死去すると、
その跡を継いで1万石の大名となりましたが、
関ヶ原の戦いで西軍に属したために改易。
後に舅であった大島光義や、
親交のあった浅野行長らの尽力で許されて、
備中浅尾に転封となり… 続きを読む
大島戦争(大島口の戦い)③
大島戦争(大島口の戦い)②
岡山県倉敷市 倉敷代官所陣屋跡
倉敷に出張に行ってきました。
思ったより早く仕事が終わったので、
倉敷美観地区に行ってみます。
倉敷は幕府直轄地(天領)だったようで、
物流の拠点として大いに栄えていました。
現在は市の美観地区景観条例に基づいて、
当時の街並みが状態良く保存され、
天領時代の町並みを残しています。
「倉敷川畔」の街並み。
平日にもかかわらず観光客が沢山。
学生達はすでに休みだからでしょうね。
意外な事(?)に女子旅を多く見かけました。
幕末の慶応2年4月10日。
第二奇兵隊… 続きを読む
山口県柳井市 赤禰と世良の屋敷跡
克己堂跡から南に数百m南下した場所に、
屋敷跡の碑が建てられています。
「奇兵隊総督 赤祢武人屋敷跡」。
克己堂跡から南に数百m南下した場所に、
屋敷跡の碑が建てられています。
赤禰武人は柱島の島医の子でしたが、
浦家家臣赤禰雅平の養子となりました。
ここはその赤禰家の屋敷であった場所。
「奥羽鎮撫総督府参謀世良修蔵屋敷跡」。
赤根の屋敷から更に数百m南下した所に、… 続きを読む