第二次長州征伐」タグアーカイブ

広島県広島市 広島城

広島城広島(芸州)藩庁ですが、
実は原爆により破壊された唯一の城塞です。
明治7年に火災で本丸御殿は焼失したものの、
天守や一部などは残されており、
昭和6年に天守が国宝続きを読む

山口県山口市 山口政事堂跡

長州藩の藩庁は指月城でしたが、
幕末期に攘夷決行に備え海に面する萩から、
領地の中心の山口に藩庁が移されました。
萩を藩庁としたのは幕府の指示であり、
勿論勝手に藩庁を移すことも、
城を新たに造る事も許されませんので、
幕府にはちゃんと申告しています。
幕府への長州藩の申告によると、
萩は下関や… 続きを読む

島根県益田市 萬福寺/剣豪永井金三郎の墓

永井金三郎浜田藩の剣豪として知られ、
長州藩にも出張していたとされますが、
残念なことに調べても流派が判りません。
永井は益田戦争で戦死しており、
墓所は萬福寺の墓地にあります。


永井金三郎碑」。
石州戦争の[益田の戦い続きを読む

岡山県津山市 鶴田陣屋跡

禁門の変を起こした長州藩を征伐する為、
幕府が諸藩に命じて始めた長州征伐
長州征討とも呼ばれていますが、
幕府側からみて長州を討つという意味で、
長州側では四境戦争とされています。

とはいえ幕府と長州藩の戦争ですので、
幕長戦争が正しいかな?
第一次長州征伐は幕府側の動きなので、
そのまま第一次長州征伐と呼びますが、
第二次長州征伐続きを読む

広島県安芸高田市 安芸吉田陣屋跡

広島藩の支藩広島新田藩は、
他の新田藩と同様に決まった領地を持たず、
宗藩による蔵米支給によって運営され、
藩主は江戸に定府していました。

ところが幕末の文久3年。
広島藩は不穏な長州藩への牽制の為、
新田藩主浅野長厚の帰国を命じ、
幕府の許可を得て陣屋を建設させ、
安芸吉田藩続きを読む

島根県大田市 石見銀山

大森代官所より石見銀山町を歩きます。


代官所界隈の町並み」。
とても風情のある雰囲気ですが、
それほど観光客は多くない。
穴場スポットかもしれませんね。
※訪問時はコールデンウィーク。


熊谷家住宅」。
代官所の御用達、掛屋を営む熊谷家の屋敷。
現在は復元されて一般公開されています。


青山家住宅(郷宿旧田儀屋)」。… 続きを読む

島根県大田市 大森代官所陣屋跡

かつて世界の銀の1/3を産出した日本。
その最大の銀山が石見銀山(大森銀山)で、
当時の世界最大規模の銀山で、
平成19年にユネスコ世界遺産に登録され、
観光客で賑わいをみせています。
この銀山をめぐり大内家、小笠原家
尼子家、そして毛利が互いに奪い合い、
豊臣家、… 続きを読む