島津中興の祖とされる島津忠良。
宗家14代島津忠兼(勝久)に国政を委任され、
長子の島津貴久を忠兼の養嫡子に譲り、
後に貴久と共に薩摩を統一。
その後も多くの仁政を敷いて国を富ませ、
島津家発展に大きく貢献させました。
「常潤院跡」。
隠居後の忠良は加世田に移り住み、
この地にあった… 続きを読む
鹿児島県南さつま市 常潤院跡/島津忠良墓所
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島津中興の祖とされる島津忠良。
宗家14代島津忠兼(勝久)に国政を委任され、
長子の島津貴久を忠兼の養嫡子に譲り、
後に貴久と共に薩摩を統一。
その後も多くの仁政を敷いて国を富ませ、
島津家発展に大きく貢献させました。
「常潤院跡」。
隠居後の忠良は加世田に移り住み、
この地にあった… 続きを読む
島津宗家9代当主島津忠国の墓が、
鹿児島県南さつま市加世田地区にあります。
忠国は次男島津立久に追放され、
晩年は加世田に移住していたようですが、
琉球へ渡ろうと坊津に赴きますが、
渡航前に68歳で死去したという。
「六角堂公園」。
忠国の遺骸は加世田に送られ、… 続きを読む
境川は肥後国と薩摩国の国境の小川。
石造アーチ橋が架けられていますが、
藩政時代には橋は無く、
飛び石伝いに川を渡っていたという。
「境橋」。
明治16年に架けられた石橋。
肥後の石工… 続きを読む
野間之関は薩摩藩の三大関所のひとつで、
※他の二つは去川の関、小川内の関。
その峻厳さで全国に知られたという。
物資の密輸、基督教や一向宗の取締、
藩内の… 続きを読む
米ノ津は文字通り米の集積地で、
山地からは木材や薪炭が運びこまれ、
更には豊かな海産物も獲れたようで、
積出港として商人達が集まった場所。
正式な宿場ではなかったようですが、
薩摩街道沿いにあった為に、
多くの旅籠が軒を連ねていたという。… 続きを読む
出水市の感応寺境内にある五廟社。
島津宗家初代当主島津忠久から、
5代当主島津貞久までの墓があります。
感応寺は文治3年(1187)に島津忠久が、
薩摩、大隅、日向三州守護職… 続きを読む