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つづき。
「諦了院殿中大夫羽林次将
越州太守覺海義廣大居士 覺靈」。
10代当主(8代藩主)細川斉茲の墓。
宇土藩5代細川興文の三男に生まれ、
父興文の隠居に伴い宇土藩主となります。
宇土藩主時代に天明飢饉が発生しており、
領内の… 続きを読む
「藩主家墓所」タグアーカイブ
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熊本藩熊本市 泰勝寺跡/熊本藩細川家墓所①
熊本県熊本市 妙解寺跡/熊本藩細川家墓所②
熊本県熊本市 妙解寺跡/熊本藩細川家墓所①
鹿児島県鹿児島市 本立寺跡/島津五代墓所
島津宗家初~5代当主の墓所は、
出水市感応寺境内にありますが、
鹿児島市清水町にもあります。
「本立寺跡」。
嘉禄3年(1227)に初代島津忠久が死去。
野田の感応寺に忠久の墓所を建て、
ここに廟を建立したとのこと。
その後は5代まで同様だったようで、
5つの廟が建てられており、
五道院と呼ばれていましたが、… 続きを読む
鹿児島県日置市 龍雲寺跡/島津立久墓跡
島津宗家10代島津立久の墓祠が、
日置市東市来の龍雲寺跡にあります。
「龍雲寺跡」。
立久は市来城を落城させた後、
この龍雲寺を創建して自らの菩提寺とし、
寺領を与えてこれを庇護。
曹洞宗薩摩三ヶ寺のひとつに称され、
江戸期を通じて隆盛しました。… 続きを読む
鹿児島県南さつま市 常潤院跡/島津忠良墓所
島津中興の祖とされる島津忠良。
宗家14代島津忠兼(勝久)に国政を委任され、
長子の島津貴久を忠兼の養嫡子に譲り、
後に貴久と共に薩摩を統一。
その後も多くの仁政を敷いて国を富ませ、
島津家発展に大きく貢献させました。
「常潤院跡」。
隠居後の忠良は加世田に移り住み、
この地にあった… 続きを読む