奥の院墓地にある結城秀康の霊廟。
結城秀康は徳川家康の次男でしたが、
冷遇されていたとされており、
後に豊臣秀吉の養子として出され、
更に結城家へ養子に出されています。
関ケ原の戦いでは上杉家の抑えとなり、
その功で… 続きを読む
高野山奥の院墓地/結城秀康霊廟
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奥の院墓地にある結城秀康の霊廟。
結城秀康は徳川家康の次男でしたが、
冷遇されていたとされており、
後に豊臣秀吉の養子として出され、
更に結城家へ養子に出されています。
関ケ原の戦いでは上杉家の抑えとなり、
その功で… 続きを読む
奥の院墓地にある福井藩越前松平家の墓所。
越前松平家は結城秀康を祖とする家系で、
複数の大名家を庶流に排出しますが、
福井藩越前松平家はその宗家にあたります。
左奥から、
「隆芳院殿前参議郭翁貞眞大居士」、
「慶壽院殿淨譽月窓淸心大禪定尼」、
「大安院殿羽林次将賢譽徳超萬伏源君… 続きを読む
松平忠直は福井藩2代藩主でしたが、
叔父にあたる2代将軍徳川秀忠と不仲で、
度重なる冷遇を受けて不満が募り、
次第に酒色に溺れて政務を疎かにし、
乱行を繰り返していました。
挙句に参勤まで拒否するに至った為、
怒った秀忠は忠直に隠居謹慎を命じ、
豊後の… 続きを読む
浄土寺は大分市にある浄土宗の寺院。
文亀元年(1501)に大友親治により創建され、
満誉覚了上人を開山としています。
「表門」。
明治期建築の四脚門。
国指定登録有形文化財。
「本堂」。… 続きを読む
明石藩松平家は越前松平家の支流で、
結城秀康の六男松平直良を祖とします。
長兄松平忠直が乱心の為強制隠居となり、
宗家の家督は次兄松平忠昌が継ぎますが、
その際に越前国は細かく分割。
直良も… 続きを読む
広瀬藩は松江藩の支藩。
松江藩初代松平直政の次男松平近栄が、
父の死去の際に3万石を分与され立藩。
最初は蔵米支給であったようですが、
後に所領が広瀬周辺に定められて、
広瀬陣屋が建設されています。
「広瀬陣屋跡」。
安来市地域包括支援センター… 続きを読む
城安寺は安来市広瀬町にある臨済宗寺院。
鎌倉末期に古愚和尚が開いたようですが、
戦国時代の兵火によって衰退しています。
慶長5年(1600)に領主となった堀尾吉晴は、
春龍和尚を招いて城安寺を再興させ、
堀尾家の菩提寺としていますが、
その後の慶長16年(1611)に、
3代堀尾吉晴が… 続きを読む