醒井宿は中山道の61番目の宿場。
醒井は古代からの交通の要衝で、
古事記や日本書紀にもその名が見られ、
霊仙山からの豊富な湧水があった為、
旅人の休憩に最適であったようです。
JR醒ヶ井駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
日の出後に西側より散策。
「醒井宿跡… 続きを読む
滋賀県米原市 醒井宿跡
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醒井宿は中山道の61番目の宿場。
醒井は古代からの交通の要衝で、
古事記や日本書紀にもその名が見られ、
霊仙山からの豊富な湧水があった為、
旅人の休憩に最適であったようです。
JR醒ヶ井駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが宿場のあった場所。
日の出後に西側より散策。
「醒井宿跡… 続きを読む
古来より北陸の物産は敦賀に集められた後、
琵琶湖の北にある塩津に運ばれて、
そこから丸子船で大津に運搬され、
京都に持ち込まれたという。
塩津の名は塩が運び込まれる港の意で、
重要な塩が運ばれたのは勿論、
その他の物産の多くが運び込まれ、
江戸時代… 続きを読む
郡山城跡に再訪。
前回訪問時は復元予定であった極楽橋が、
完成したという事なので、
どんなものか観に行ってみました。
「追手門(梅林門)」。
この辺りは前回訪問と変わらずですが、
やはり玄関口がこれほど良い感じだと、
やっぱり1枚撮ってしまいますね。
法印曲輪跡よりの本丸高石垣及び天守石垣。
やはり郡山城の内堀は壮大です。… 続きを読む
永慶寺は郡山藩柳沢家の藩祖柳沢吉保が、
甲府に建立した柳沢家の菩提寺で、
次代の柳沢吉里が郡山藩に移封されると、
同じく郡山に移転しました。
「山門」。
山門は… 続きを読む
甲府藩であった柳沢宗家が、
2代柳沢吉里の頃に郡山へ移封され、
2つあった新田藩も三日市、黒川に移封。
そのひとつが三日市藩でした。
三日市藩は… 続きを読む
甲府藩柳沢家が郡山へ移封された際、
その支藩であった2つの新田藩も、
黒川、三日市へ移封しました。
黒川藩の初代藩主柳沢経隆は、
藩の支配体制を固めるため、
三十四条にも及ぶ法度を制定していますが、
経隆はその翌年の享保10年に死去。
領地は… 続きを読む
郡山藩は柳沢家15万石の近畿の雄藩。
戦国時代は筒井順慶の所領であり、
その後は豊臣秀長、増田長盛が入り、
関ヶ原後は筒井定慶に与えられました。
大坂夏の陣の前哨戦… 続きを読む