伊庭八郎の征西日記②
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新撰組の二番組組長永倉新八は松前藩出身。
とはいえ江戸詰家臣長倉勘次の次男で、
江戸で生まれて松前では育っていません。
永倉は神道無念流を習得して剣術に傾向し、
後に剣の道を究めたいと脱藩。
数々の道場で腕を試した後、
試衛館の食客となって近藤勇らと共に、
清河八郎… 続きを読む
永井金三郎は浜田藩の剣豪として知られ、
長州藩にも出張していたとされますが、
残念なことに調べても流派が判りません。
永井は益田戦争で戦死しており、
墓所は萬福寺の墓地にあります。
「永井金三郎碑」。
石州戦争の[益田の戦い… 続きを読む
玖島城下の武家屋敷通りのひとつ、
上小路に斎藤道場跡があります。
「斎藤道場(微神堂)跡」。
大村藩に招かれた剣術指南役斎藤歓之助は、
道場を開いて[微神堂]と名付けました。
藩が神道無念流… 続きを読む
石田寺は土方歳三の墓所。
日野に来てここは外せません。
土方については説明するまでもないですが、
新選組の鬼の副長であった人物。
新選組については研究者やファンが多く、
僕ごときが語るのはおこがましいですが、
彼の一貫した合理主義には感銘を覚えます。
新撰組という組織を運営するにあたっては、
局中法度等の厳しい隊規が理想的であり、
これ以上の方針はありえないと思いますし、
成り立たなかったともいえます。
奥羽列藩同盟… 続きを読む
井上源三郎は新選組六番隊組長。
千人同心世話役井上藤左衛門の三男で、
天然理心流近藤周助の試衛館に入門し、
主に日野宿の佐藤彦五郎の設けた稽古場で、
日夜稽古に励んでいたとされます。
近藤勇らと共に浪士組に参加し、… 続きを読む