岸和田は僕の師だった方が住んでいた場所。
以前は何度も南海電車で来ていました。
とはいえ駅と師いる五軒屋町の往復のみで、
岸和田城があることは知ってはいましたが、
一度も行ってみた事はありません。
通っていたのはもう20年位も前の事ですが、
街はあまり変わってない様子。
既に師匠も故人となっており、
師匠宅はギャラリーとなっている様子。
師匠は朝ドラ[カーネーション]のモデルで、
3人の世界的なデザイナーを育てた方ですが、… 続きを読む
「続日本百名城」タグアーカイブ
富山県富山市 富山城跡
富山藩は加賀藩の支藩。
加賀藩2代藩主前田利常が家督を譲る際、
次男前田利次に富山10万石を与え立藩。
同様に三男前田利治が7万石を与えられ、
大聖寺藩も立藩されました。
富山城跡は城址公園となっています。
「城址公園」。
富山城の… 続きを読む
福井県福井市 福井城跡
福井城は福井藩越前松平家の居城。
徳川家康の次男である結城秀康によって、
柴田勝家の居城北ノ庄跡に築城されました。
関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐で、
石田三成の挙兵に対応して徳川本隊は反転。
秀康は上杉勢の抑えとして残り、
戦後にこの功績により下総10万石から、… 続きを読む
大分県臼杵市 臼杵城跡
臼杵城は大友宗麟が丹生島に築いた海城で、
当時の丹生島は三方が海で囲まれ、
干潮時に陸続きとなる天然の要害でした。
宗麟は干潟を埋め立てて城下町を創り、
明確な時期は明らかではないながらも、
臼杵城を大友家の本拠としています。
後に豊臣秀吉が次代大友吉統… 続きを読む
大分県佐伯市 佐伯城跡
毛利家といえば安芸毛利家が有名ですが、
佐伯藩の藩主家も毛利家です。
長州藩の安芸毛利家とは血縁はありませんが、
藩祖毛利高政が毛利姓を名乗ったのは、
長州毛利家との関係からでした。
備中高松城攻略中に本能寺の変の報が伝えられ、
秀吉は急遽毛利家との和睦を決意します。
和睦条件のひとつとして人質交換… 続きを読む
長野県諏訪市 高島城
県中部の諏訪盆地に位置する諏訪湖では、
かつては冬に全面凍結していたようで、
その凍結した湖面に亀裂が走って、
それがせりあがる現象が発生していました。
これを[御神渡り]と呼び、
その亀裂を記録した御渡帳と照らして、
その年の天候や農作物の出来… 続きを読む
佐賀県唐津市 唐津城
唐津城は松浦川左岸にある唐津藩の藩庁。
唐津湾に突き出た満島山の頂上に本丸、
その西側に二ノ丸、三ノ丸を配す連郭式で、
萩城と似たような縄張りをしています。
東側に全長約4.5kmの巨大な… 続きを読む