満正寺は倉吉市にある曹洞宗寺院。
元禄12年(1699)に創建されており、
荒尾志摩家の菩提寺となっています。
「本堂と巨大星占盤」。
境内に入ると目を引く巨大な星占番盤。
満正寺に伝わる秘伝星占術を、
現代風にアレンジした[九曜星占盤]で、
性格… 続きを読む
鳥取県倉吉市 満正寺/荒尾志摩家墓所
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満正寺は倉吉市にある曹洞宗寺院。
元禄12年(1699)に創建されており、
荒尾志摩家の菩提寺となっています。
「本堂と巨大星占盤」。
境内に入ると目を引く巨大な星占番盤。
満正寺に伝わる秘伝星占術を、
現代風にアレンジした[九曜星占盤]で、
性格… 続きを読む
倉吉は鳥取藩家老荒尾志摩家の私領で、
自分手政治が行われていました。
打吹山の北麓に倉吉陣屋が置かれ、
その周辺に町割りが成されており、
鳥取藩領中央に位置する商業都市として、
多くの人々が行き交っていたようです。
「倉吉白壁土蔵群(打吹玉川)」。
倉吉白壁土蔵群は[… 続きを読む
了春寺は米子市博労町にある黄檗宗寺院。
その創建の時期は不明ですが、
当初は臨済宗の寺院だったようで、
西町の海岸亀島にあったとされ、
海禅寺と号していました。
その後の元禄年間(1688-1704)に、
荒尾但馬家により黄檗宗に改められ、
萬福寺末寺となって禅源寺に改称。
後に天災で倒壊してしまった為、
宝永年間(1704-1711)に現在地に移転し、… 続きを読む
米子宿は米子城下に置かれた山陰街道の宿場。
米子湊の他に境湊往還にも通じ、
多くの人や荷物が行き交っていました。
港の近くには豪商らが軒を連ね、
米子は「山陰の大坂」と称されていたという。
米子市街地周辺。緑の線が街道筋で、
青い線が境港往還。
青くぼかした辺りが米子宿跡。… 続きを読む
米子城は吉川広家が築城した平山城で、
※諸説あり。
関ヶ原の戦い後に中村一忠に与えられ、
米子藩17万5000石の藩庁となった城。
徳川家康は一忠が幼少であった為に、
後見役として横田内膳を派遣しました。
内膳は家康の期待に応えて、… 続きを読む