佛日寺は池田市にある黄檗宗の寺院。
麻田藩2代藩主青木重兼が開基し、
天王山山麓に松隣寺を建立した後、
現在地に移転しました。
その後に黄檗宗開祖隠元禅師を招来し、
開山として佛日寺と改称。
萬福寺… 続きを読む
大坂府池田市 佛日寺/麻田藩青木家墓所
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佛日寺は池田市にある黄檗宗の寺院。
麻田藩2代藩主青木重兼が開基し、
天王山山麓に松隣寺を建立した後、
現在地に移転しました。
その後に黄檗宗開祖隠元禅師を招来し、
開山として佛日寺と改称。
萬福寺… 続きを読む
参勤交代制度があった事や、
隠居後も江戸で生活を送っていた為、
中津藩の藩主の殆どは江戸で死去。
遺骸は品川区の清光院に葬られ、
国許に墓は建てられませんでしたが、
7代藩主奥平昌猷は唯一領内で死亡し、
葬儀が行われて自性寺に葬られました。
自性寺は歴代の菩提寺で臨済宗の寺院。… 続きを読む
大同元年(806)に空海は唐から帰国し、
半年程博多へ滞在していますが、
密教東漸を祈願して不動明王像を彫り、
東長寺を建立したとされています。
※空海の創建した日本最古の寺とされる。
当初の東長寺は呉服町にあったようで、
巨大な伽羅を持つ大寺院でしたが、… 続きを読む
康順寺は真宗本願寺派の寺院。
親鸞の弟子裕乗による開基で、
寛永年間に当地に移転したようです。
「本堂」。
康順寺は元々半崎道場と称し、
現在地北東の半崎村にありましたが、
領主本多家… 続きを読む
岡崎藩本多平八郎宗家の歴代墓所は、
かつての所領であった姫路の圓教寺や、
浅草にあった誓願寺などにあり、
所領の岡崎にはありませんが、
4代本多忠考の墓のみ源空寺にあります。
「源空寺」。… 続きを読む
妙源寺は真宗高田派の寺院で、
松平家に尊敬されていたらしく、
三河一向一揆で松平(徳川)家康が逃げ込み、
難を逃れたとされます。
「山門」。
薬医門形式の山門。
倒壊防止の支えが付けられていますが、… 続きを読む
徳川家康の高祖父松平長親の子松平信定は、
松平清康(家康の祖父)が殺害されると、
宗家の座を奪う為に岡崎城を占領しますが、
他の家臣らの支持を得られませんでした。
仕方なく清康の継嗣松平弘忠に帰順し、
再び家臣として仕えますが、
反抗的な態度は改めてはいません。
信定の死後に家督を継いだ2代松平清定… 続きを読む