長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「長門市立菱海中学校」。
先大津宰判勘場があった場所は、
現在は長門市立菱海中学校になっています。
「… 続きを読む
山口県長門市 先大津宰判勘場跡
コメントを残す
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「長門市立菱海中学校」。
先大津宰判勘場があった場所は、
現在は長門市立菱海中学校になっています。
「… 続きを読む
高杉晋作は功山寺で挙兵した後、
藩の出先機関である新地会所を襲いました。
その新地会所の跡碑と説明板が、
厳島神社の鳥居の横に設置されています。
「萩藩新地会所址」。
神社の脇にある小さな石標と説明板からは、
その規模がイメージしづらいのですが、
碑のある場所を南東の角として、
下関上新地郵便局や… 続きを読む
下関の東側海岸線は埋め立てられており、
殆ど幕末当時の状況と変わっています。
当時の海岸線は国道に沿ったあたりでした。
下関は埋め立てしか発展する余地はなく、
残念ながら当時の面影は残っていません。
当時の下関は北前船の寄港地であり、
大変な賑わいをみせた場所で、
長州藩の[馬関越荷方役所」が、
下関の南部町に設置されていました。
越荷… 続きを読む