峰崎官軍墓地は明治10年の西南戦争の際、
芦北町内で戦死した陸軍将兵の墓地。
周辺では佐敷や大関山一帯が戦場となり、
それらで戦死した将兵が埋葬されました。
特に大関山を巡る戦闘での戦死者が多く、
60名も埋葬されているという。
「峰崎官軍墓地」。
86名の将兵が眠る官軍墓地。
明治十年之役官軍戦死者墳墓地… 続きを読む
熊本県葦北郡 峰崎官軍墓地
コメントを残す
峰崎官軍墓地は明治10年の西南戦争の際、
芦北町内で戦死した陸軍将兵の墓地。
周辺では佐敷や大関山一帯が戦場となり、
それらで戦死した将兵が埋葬されました。
特に大関山を巡る戦闘での戦死者が多く、
60名も埋葬されているという。
「峰崎官軍墓地」。
86名の将兵が眠る官軍墓地。
明治十年之役官軍戦死者墳墓地… 続きを読む
戸田松平家は三河戸田氏の宗家で、
当主である戸田康長が松平姓を与えられ、
松平康長を名乗った事により始まり、
信州松本藩から播州明石藩、濃州加納藩、
雍州淀藩、志州鳥羽藩… 続きを読む
明石藩松平家は越前松平家の支流で、
結城秀康の六男松平直良を祖とします。
長兄松平忠直が乱心の為強制隠居となり、
宗家の家督は次兄松平忠昌が継ぎますが、
その際に越前国は細かく分割。
直良も… 続きを読む
大蔵谷宿は西国街道の7番目の宿場で、
京都側からは明石城の手前に位置し、
旅籠が約60軒もあったという。
明石城南東周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大蔵谷宿跡。
東側から散策。
「大蔵谷宿跡」。
街道沿いの家々は更新されており、
面影は少なくなってはいますが、
当時の家屋をリフォームしたと思われる家も、
いくつか点在しています。… 続きを読む
丹生都比賣神社は紀伊国一宮。
※紀伊国一宮は他に日前神宮と、
伊太祁曽神社があります。
約180社ある丹生都比売社の総本社で、
高野山北西の天野盆地に鎮座します。
空海が金剛峯寺を建立するにあたり、
丹生都比賣神社が神領… 続きを読む
粉河寺は粉河観音宗の総本山で、
かつては天台宗に属した大寺院でした。
宝亀元年(770)に猟師の大伴孔子古が、
山中に光を発する場所を見つけ、
そこに小庵を営んだとされ、
ある日その庵に童男が訪ねて来て、
一晩泊めると宿のお礼にと、
7日掛けて千手観音像を彫ったという。
8日目には童男の姿はなく、… 続きを読む
日前宮は紀伊国一宮。
※紀伊国一宮は他に伊太祁曽神社と、
丹生都比売神社があります。
境内には日前神宮と國懸神宮の二社が両立し、
これを総称して日前宮と称されています。
※他に名草宮とも呼ばれる。
石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した… 続きを読む