美祢市」カテゴリーアーカイブ

山口県美祢市 秋吉宿跡

秋吉宿赤間関街道中筋の宿場で、
絵堂宿河原宿の間にありました。


美祢市秋芳町秋吉周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが秋吉宿跡。
北側が上宿、南側が下宿だったようです。


秋吉宿跡」。
秋吉宿は家数35軒に人夫8人、
馬が5疋が常備されていたという。… 続きを読む

山口県美祢市 美祢宰判勘場跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。

大田は中世末期以来の大市であった為、
美祢郡を司る宰判勘場が設置されました。

美祢市立大田小学校(美祢宰判勘場跡)」。
勘場跡は現在の美祢市立大田小学校続きを読む

山口県美祢市 絵堂宿跡

絵堂宿赤間関街道中道筋の市宿。
から南へ五里のところにあり、
小さな集落ながら交通の要地でした。


美祢市美東町江堂周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが絵堂宿跡。


絵堂宿跡」。
地蔵菩薩を安置した絵馬堂あった為、
これに由来して絵堂と呼ばれたとされ、
北西にある赤村の枝郷であったようです。… 続きを読む

山口美祢市 八幡磨能峰宮

美祢市の中央部北側。
下領という場所にある八幡磨能峰宮に、
池田屋事件の殉難者広岡波秀の碑があります。


美祢市大嶺町周辺(八幡磨能峰宮の場所)


八幡磨能峰宮」。
通称は下領八幡宮
社伝によると創建は孝霊天皇の時代とされ、
紀元前200年代という事になります。
当初は… 続きを読む

山口県美祢市 四郎ヶ原宿跡

下関を結ぶ赤間関街道
北浦道筋北道筋中道筋の3ルート中で、
最も距離が短いのが中道筋でした。
その中間地点が四郎ヶ原
何らかのいわくがありそうな名称ですが、
その由来は、… 続きを読む