久しぶりに東行庵へ行ってみた コメントを残す 非常事態宣言も解除されましたし天気も良いので,、久しぶりに東行庵に行ってみました。墓所への参道がなんとバリアフリー化していました。これは嬉しい!みよちゃんもゆきちゃんも歩いて登れます。今までは抱っこして登ってました。これは地元の企業が自社の創業70周年… 続きを読む
高杉晋作の東帆禄④ コメントを残す ①/②/③/④ つづき。5月4日。朝早く出航。多度津港を去り一里行って潮を待つ。潮が来たので碇を挙げたが風は無い。ようやく讃州の大槌島に到着し碇泊する。この日は曇天で小雨。 5月5日から7日。播州小豆島沖で漂泊。3日間風は無く船は潮流に従う。順潮ならば船は進み、逆潮ならば船は後退。晴天。碇を下ろしたりあるいは帆を上げたり、… 続きを読む
高杉晋作の東帆禄③ コメントを残す ①/②/③/④ つづき。4月26日。淹留。小舟で上関に至る。上関は室津と相対し、その関所はひとつだけ。漁婦の歌「室津上関棹而通(室津上関竿さして通る)」はまさにこの景観。人家は数百、停泊する船の帆柱は絶えず、馬関から… 続きを読む
高杉晋作の東帆禄② コメントを残す ①/②/③/④ つづき。4月16日から19日。故有って船は停泊。上陸して伊藤静斎を訪ねる。伊藤静斎は元長州藩出身で、南部の賊民蜂起の際、18歳の静斎は県令某の為に賊民数十人を切り倒し、その後に伊藤家の養子となった人物。伊藤家は馬関の有力者であり豪商で役人でもある。静斎もこれを務めていたが、讒言でこれを辞め、今は幽居清貧して詩文を楽しんでいる。しかし国事については忘れず、慷慨は凛々として常に時勢を論じている。… 続きを読む
高杉晋作の東帆禄① コメントを残す ①/②/③/④ 高杉晋作は航海術を学ぶ為に軍艦教授所に入所。丙辰丸に乗って萩から江戸まで航海しますが、江戸に到着後に、修練を投げ出してこれを辞退。余程辛い目にあったのか?実際に航海日記である「東帆禄… 続きを読む