つづき。
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安政6年10月4日。晴。
①田代では長崎者、佐賀者2人と同宿。
道連れになって神崎という所で蓑を買う。
これは佐賀人の勧めであったが、
一度も使用せず馬鹿らしき事限り無し。
戦さの時にでも着ようかと一人笑う。
この佐賀人は自慢が多い変人であったが、
親切にも案内してくれた。
昼頃に②佐賀に着く。
佐賀県佐賀市 佐賀宿跡①
鍋島藩主の先祖を祀る日法社があり、
石鳥居の大きさは日本一という。
反射炉を見たが敷地内へは入れない。
佐賀県佐賀市 築地反射炉跡
番所があって見学を頼んでみたが断られる。
通りには剣筒に台を付けるところがあり、
数十挺のゲベールを並べ職人を揃えている。
また剣筒を張り立てる所もあって盛ん。
ウドン屋に行って休み、話を色々と聞く。
亭主曰く只今の反射炉は公儀の御注文で、
もう一ヶ所あるが撤去されるという。
③本庄へ行くが午後10時頃しか出航せず。
佐賀の町を見物しようかと思ったが、
疲れたので船宿にいると、
午後5時前に大砲の音が聞こえ、
すぐに出て台場へ行ってみる。
役人が「何れの御方に候か?」と尋ね、
無刀だった事を恥じて問いには答えず、
宿へ帰り大小を差して戻ったところ、
36ポンドと24ポンドの七挺があり、
その台、諸道具、何れも見事な出来。
役人の7~8人が自分を怪しんでいるので、
姓名を名乗って見物させてもらう。
これは公儀注文の品で江戸へ廻す大砲。
午後10時過に船は出て、
④諫早に午前8時過に着く。
長崎県諫早市 永昌宿跡
※自慢の多い佐賀人に癖々しますが、
親切なので良い顔で対応する河井。
日法社は現在の松原神社。
反射炉や台場を見学していますが、
名を問われて無刀を恥じる河井。
安政6年10月5日。晴。
諫早は鍋島藩家老の城下。
随分と良いところ。
諫早の眼鏡橋は日本一と、
先の佐賀人が自慢していたが、
なるほど日本一であろう。
矢上宿を抜けた所で、
長崎県長崎市 矢上宿跡
会津藩士土屋鉄之助に会う。
秋月が長崎にいる事を聞いた。
矢上の先は道が険しくなり、
日見峠は石ばかり。
佐賀までの平地とは全く違う。
峠からは温泉はもとより、
天草を前に見て好景。
山を下って一里ばかり行けば⑤長崎で、
長崎県長崎市 長崎街道終点
午後5時頃に着いて、
銀屋町[万屋]に宿を取る。
※諫早の眼鏡橋は諫早公園に移築現存。
土屋鉄之助は会津藩士で、
後の会津戦争では新練隊隊長として奮戦。
秋月は会津藩士秋月悌次郎の事。
これより約半月ほど長崎に遊学します。
10月4日~5日の行程。
つづく。
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