島根県」カテゴリーアーカイブ

島根県松江市 法眼寺

法眼寺は松江市外中原町の曹洞宗寺院。
元々は松江城の建つ亀田山に所在し、
松江城の築城に伴い大橋川畔に移転。
その後の大火で伽羅を焼失し、
現在地に再移転しています。

この法眼寺の山門手前には、
大橋茂右衛門家の墓所があります。

大橋茂右衛門家墓」。… 続きを読む

島根県松江市 松江城(再訪)②

/②
つづき。

二之丸は西側半分が少し高くなっており、
御殿に連結する御書院があったようです。

西南の役の碑」。
8代島根県知事籠手田安定が、
浄財を募って建立した碑で、
西南戦争と県民の関わりを記したもの。
籠手田は元平戸藩士続きを読む

島根県松江市 松江城(再訪)①

①/

松江城に行ったのは8年前。
その記事も相当古いものですので、
今回機会がありましたので再訪しました。

関ヶ原の戦いの功により堀尾忠氏が、
隠岐及び出雲24万石を与えられ、
出雲守護職の居城月山富田城に入城。
しかし月山富田城は山城であり、
藩経営には不向きであった為、… 続きを読む

島根県益田市 飯浦

飯浦は石見国最西端の漁村集落で、
かつては津和野藩唯一の港でした。


益田市飯浦町周辺。
西は田万村に至る仏峠
東の海岸線は人形鼻
南は津和野城に至る傾成峠を控え、
北の日本海を含めて四方が難所でしたが、… 続きを読む

島根県浜田市 三隅宿跡

益田家4代益田兼高の次男益田兼信は、
三隅に移り住んで三隅城を本拠とし、
城下町を構築しました。
後に4代三隅兼連が三隅姓を名乗りますが、
兼連は後醍醐天皇の要請に応じ、
北朝方の足利尊氏と戦う事になります。… 続きを読む

島根県益田市 萬福寺(再訪)

萬福寺平安時代の創建とされており、
安福寺と称した天台宗の寺院でしたが、
鎌倉時代に廃れていたものを、
遊行上人4世呑海が再興して道場としました。
その後に領主益田兼見が現在地に移築し、
萬福寺と改称しています。
※墓地には兼見の墓もあります。


「… 続きを読む

島根県益田市 益田宿跡

益田豪族益田氏の本拠として発展し、
江戸時代はその大半が浜田藩領でした。
益田氏は石見守護藤原国兼を祖とし、
はじめ浜田御神本を拠点とした為、
御神本氏を称していましたが、
4代兼高が益田に拠点を移し、
以後は益田氏を名乗り、
石見国西部に領地を広げます。

後に守護大名… 続きを読む