[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ

山口県防府市 旧毛利家本邸①

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旧毛利家本邸は公爵毛利元昭が、
明治25年に明治天皇から承認を得て、
大正元年着工して4年後に完成した邸宅。
前当主毛利元徳の定めた家憲によって、
公爵毛利家本拠山口県に定められた為、
これに従って… 続きを読む

山口県山口市 菜香亭

維新の元勲らが親しんだ料亭[菜香亭]。
明治10年の創業から平成8年まで、
約120年間営業を続けていました。
現在は市に建物が寄贈されて、
野田御殿跡に移築復元しており、
[山口市菜香亭]として一般公開しています。


菜香亭」。
菜香亭は初代主人齊藤幸兵衛が、
明治10年に開業した料亭。
創業当初は24畳で営業していましたが、… 続きを読む

山口県山口市 明治維新策源地

明治維新という大きな流れを作り、
その中心的役割を果たした長州藩
山口市政事堂教育機関が集まり、
また多くの志士達が各地かやって来て、
倒幕に向けて密議を交わしたという事で、
明治維新の策源地と呼ばれたとのこと。… 続きを読む

山口県山口市 野田御殿跡

毛利敬親は明治2年に隠居し、
家督を養嫡子毛利元徳に譲りました。
その隠居所として御殿建設が計画され、
建設地を野田に定めて着工されますが、
敬親は明治4年に死去してしまい、
御殿に入居することはありませんでした。
完成した御殿は毛利公別邸となり、
明治天皇山口行幸の際には、
その宿所としても利用されていますが、
後に御殿は取り壊されています。… 続きを読む

山口県山口市 渡川宿跡

渡川山陰街道の半宿。
周防大内家により渡川城が築城され、
文明2年(1470)の大内道頓の乱の際には、
陶弘護が挙兵した道頓勢を撃退しています。
阿武川北側の田園地帯にあったようで、
街道は田園を横切って南下しており、
文字通り阿武川を[渡川]しています。


JR渡川駅周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが渡川宿跡。


「… 続きを読む

山口県山口市 地福宿跡

地福中国山地に囲まれた集落で、
海抜は約300mながら平坦な盆地で、
灌漑の便が良い事から開拓が進められ、
田園地帯となっていました。
村内に山陰街道が通っていた為に、
半宿にもなっていたようです。


御国廻御行程記 地福(一部)」。
上の道が山陰街道ですが、
絵図を見る限り家屋は少なく、
阿武川対岸の方が多く感じられます。… 続きを読む