大田宿は美祢郡の小盆地にあり、
南流する大田川の左岸に集落が置かれ、
北にある長登鉱山の物資集積地として、
人が集まって市が開かれました。
また船木街道の宿場町にもなっています。
※船木街道は土地ヶ垰から大田宿を経由し、
船木宿から刈屋浦に至る街道。
その交通の要所的性質から、
周辺を支配する美祢宰判勘場も置かれ、
藩政時代には更に発展しました。
「… 続きを読む
山口県美祢市 大田宿跡
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大田宿は美祢郡の小盆地にあり、
南流する大田川の左岸に集落が置かれ、
北にある長登鉱山の物資集積地として、
人が集まって市が開かれました。
また船木街道の宿場町にもなっています。
※船木街道は土地ヶ垰から大田宿を経由し、
船木宿から刈屋浦に至る街道。
その交通の要所的性質から、
周辺を支配する美祢宰判勘場も置かれ、
藩政時代には更に発展しました。
「… 続きを読む
板堂峠から約650m萩側に下ると、
「吉田松陰先生東送之碑」が設置されています。
「吉田松陰先生東送之碑」。
昭和58年に㈶松風会により建立されたもので、
その書は内閣総理大臣岸信介によるもの。
松陰は安政の大獄で江戸… 続きを読む
板堂峠は周防国と長門国の境にある峠で、
萩往還中最高度の場所でした。
周辺はかつて銀が産出されていた為、
採銀作業の安全を祈願した御堂があり、
この御堂が板葺であったことから、
板堂峠と呼ばれるようになったという。
「… 続きを読む
吉富家や周布政之助の墓がある船田墓地で、
大組士井上源三郎家の墓を発見しました。
新撰組六番隊組長に同名の人物がいますが、
そちらとは全く関係はありません。
源三郎家は安芸井上家の庶流で、
井上豊前守光良を家祖としており、
曾孫の井上元盛は… 続きを読む
吉富家は吉敷郡矢原村の豪農で、
当主は代々庄屋や大庄屋を務めています。
幕末の当主吉富藤兵衛は井上聞多と旧知で、
農民ながら尊皇攘夷思想に関心を持ち、
下関攘夷戦… 続きを読む
普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆が後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む
一の坂川交通交流広場の敷地に、
「山口大学創基の地」碑があります。
「山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校、
山口経済専門学校、山口師範学校、
山口青年師範学校… 続きを読む