[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ

山口県周南市 潮音洞/清流通り

江戸時代鹿野上村は台地の為、
生活用水に苦しんでいたとされ、
これを見かねた岩崎想左衛門重友は、
私財を投じてトンネル(潮音洞)を掘り、
錦川の支流から用水を取り入れ、
水路を完成させて村を潤しました。


清流通り」。
水路沿いの通りにモニュメント広場続きを読む

山口県周南市 二所山田神社

二所山田神社二所大明神と、
山田神社が明治40年に合祀された神社。
お正月といえば[神社でおみくじ]ですが、
全国のおみくじの約70%が、
この神社が創設した女子道社が製造し、
全国の神社に販売しているという。

そんな場所が山口県にあるならば、
是非とも家族で行ってみようと、
おみくじを引く為に参拝しました。


参道続きを読む

山口県萩市 下田萬村

吉田松陰は嘉永2年6月に、
萩以北の海岸線を巡視しています。
これについて書かれた松陰の日記は無く、
僅かに代官の簡単な報告書が残るのみで、
その詳細は殆ど判りません。

嘉永2年6月28日~7月1日の間で、
松陰は江崎浦田萬村を巡視したらしい。
江崎浦には松陰が宿泊したと伝わる家もあり、
現在も漁港として残りますが、
田萬村については下田万と… 続きを読む

山口県萩市 西法寺/前原一誠供養塔

明治9年にで挙兵した前原一誠らは、
県庁襲撃の計画が察知されたことを受け、
東上して天皇へ直訴する事とします。
越ケ浜より海路で東京を目指しましたが、
悪天候の為に江崎浦に寄港。
そこで近親者処罰の虚報を聞いた為、
急いで萩に戻りました。
しかし萩では… 続きを読む

山口県萩市 深江九郎(富樫分周)墓所

松下村塾の塾生の殆どは防長出身者ですが、
唯一安芸国の出身者がいました。
それが富樫分周という加計の医家の子で、
広島の儒学者坂井虎山に師事した後に、
柳井の勤皇僧月性に学んでおり、
その伝手から松下村塾に入門しています。

今回はその富樫分周の墓所を訪問。… 続きを読む

山口県萩市 江崎浦

江崎浦は深い入江の奥にある天然の良港で、
阿武郡18郷の米積出港となっていました。
北前船西廻航路が開設されると、
商業港としても重要性を増し、
寄港誘致の為に定期的に芝居が開かれ、
更に津和野藩に港の使用を許可した為、
長州藩続きを読む

山口県萩市 大屋刑場跡

道の駅[萩往還]の北西側駐車場近くに、
長州藩大屋刑場がありました。
ご多分に漏れず長州藩の刑場も、
街道脇に設置されていたようで、
旅人に刑の執行を見せる事により、
犯罪を抑止していたようです。


大屋刑場跡(女体解剖地跡)」。
萩城下から離れた萩往還の竹林。
この場所に刑場が設置されました。… 続きを読む