谷中霊園にある玉乃世履の墓所。
体感ですが青山霊園は巨大な墓碑が多く、
谷中霊園はそれに比べて小さい気がします。
そんな中で玉乃世履の墓は見上げる程高く、
かなり目立った存在。
「大審院長従三位勲二等玉乃世履墓」。
玉乃は岩国領吉川家家臣桂脩助の子で、
藩校養老館… 続きを読む
東京都台東区 谷中霊園/玉乃世履墓所
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谷中霊園にある玉乃世履の墓所。
体感ですが青山霊園は巨大な墓碑が多く、
谷中霊園はそれに比べて小さい気がします。
そんな中で玉乃世履の墓は見上げる程高く、
かなり目立った存在。
「大審院長従三位勲二等玉乃世履墓」。
玉乃は岩国領吉川家家臣桂脩助の子で、
藩校養老館… 続きを読む
天王寺墓地にある大野右仲の墓。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
寛永寺墓地、天王寺墓地も含め、
谷中霊園として記事にしています。
大野右仲といえば高杉晋作の友人ながら、
後に箱館新選組の隊士となっており、
土方歳三と共に戦った稀有な人物です。
「大野氏累代之墓… 続きを読む
天王寺墓地にある高瀬藩細川家の墓所。
※正確には谷中霊園ではありませんが、
寛永寺墓地、天王寺墓地も含め、
谷中霊園として記事にしています。
高瀬藩細川家は熊本藩3代藩細川綱利が、
弟の細川利重に蔵米3万5000石を与え、
新田藩として諸候に列しさせた家。… 続きを読む
谷中霊園にある神戸藩本多家の墓所。
膳所藩3代本多康将の次男本多忠恒は、
父の隠居に伴い1万石を分与され、
西代藩を立藩しています。
2代本多忠統は神戸藩に移封となり、
後に1万5000石に加増。
忠統は城主格となった事によって、… 続きを読む
明治前期の大記者福地源一郎(桜痴)の墓。
「福地源一郎之墓」。
長崎の儒医福地苟庵の子に生まれ、
儒学者長川東洲に漢学、
蘭通詞名村八右衛門に蘭語、
英通詞森山栄之助に英語を学び、
通弁御用雇… 続きを読む
谷中霊園にある丸岡藩有馬家の墓所。
キリシタン大名として知られる有馬晴信は、
豊臣秀吉に降伏して4万石を安堵され、
関ヶ原の戦いにも東軍となっており、
島原(日野江)の本領を安堵されていましたが、
後に岡本大八事件によって改易され、
甲斐国… 続きを読む
谷中霊園にある杵築藩能見松平家の墓所。
三河国額田郡能見を領した事から、
能見松平家と称したとされ、
3代当主松平重吉より松平清康に仕え、
その孫の徳川家康から軍功抜群と賞され、
嫡子松平信康の初陣では、… 続きを読む