太宰府天満宮の門前六町のうち、
大町は門前町の中心地だったようで、
参拝者の為の旅館が軒を連ねていました。
現在も超有名な観光地である為、
年中通して非常に賑やかな町で、
名物の梅ヶ枝餅やお土産が売られ、
どこの店も観光客でいっぱい。
この門前町にある[松屋]は薩摩藩の定宿で、… 続きを読む
福岡県太宰府市 松屋
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太宰府天満宮の門前六町のうち、
大町は門前町の中心地だったようで、
参拝者の為の旅館が軒を連ねていました。
現在も超有名な観光地である為、
年中通して非常に賑やかな町で、
名物の梅ヶ枝餅やお土産が売られ、
どこの店も観光客でいっぱい。
この門前町にある[松屋]は薩摩藩の定宿で、… 続きを読む
水城は続日本100名城選出の古代の城で、
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗北。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇は、
大宰府政庁の防御を再構築に着手し、
巨大な土塁の壁を建設します。
東側の大城山(四王寺山)と、… 続きを読む
幕末維新や江戸時代には関係ありませんが、
大宰府周辺の古代山城を数件巡ってみます。
大野城は四天王山山頂を中心に、
東西約1.5㎞、南北約3㎞の外周約7㎞を、
土塁や石垣の城壁で囲めており、
日本一の規模を誇る古代山城。
発掘調査で約70棟の建物跡が発見され、… 続きを読む
法華寺は徳地にある真言宗寺院。
天平11年(739)に光明皇后の許しを得て、
行基が諸国に創建させた法華寺のひとつで、
長門国法華寺として豊浦村にあったもの。
明治6年に赤間関東南部町に移転し、
更に明治30年に現在地に移転しています。
「法華寺」。… 続きを読む
昌福寺は徳地にある曹洞宗の寺院。
元々は福生寺という尼寺だったようで、
後に荒廃していたものを、
慶長元年(1596)に雲甫永岳和尚が再興し、
正福寺となったとされます。
「昌福寺」。
正福寺は明治3年に… 続きを読む
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。
徳地宰判勘場は佐波郡北部21ヶ村を支配し、
敷地は3反(900坪)あったとされます。
「徳地宰判勘場跡」。
徳地宰判勘場跡は梅畑… 続きを読む
元治元年に禁門の変で長州藩は敗れ、
幕府による第一次長州征伐が開始。
これを受けて長州藩では俗論派が台頭し、
幕府への謝罪恭順が模索されます。
奇兵隊及び膺懲隊では幕府を迎撃すべく、
三田尻… 続きを読む