[中国地方(山口県除く)]」カテゴリーアーカイブ

広島県大竹市 木野川渡し場跡

安芸国周防国の国境を流れる小瀬川
江戸時代木野川と呼ばれていた様で、
現在とは違って橋が架けられず、
渡し舟で通行が行われていました。


木野川渡し場跡」碑。
道路脇に設置された碑と説明板。
これ以外も説明板が多数建てられています。


木野川渡し場跡続きを読む

広島県大竹市 玖波宿跡

玖波宿西国街道の宿場町。
安芸国最西の宿場として栄えましたが、
芸州戦争の戦場となった為、
大きな被害を出したようです。


大竹市玖波周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが玖波宿跡。


玖波宿跡」。
宿場跡には意外にも商家が残っています。
芸州戦争の被害を免れたものが、
戦後に再建されたものでしょうか?


角屋の釣井と高札場跡」。… 続きを読む

広島県廿日市市 厳島神社

PC内のDATAを整理した際、
家族で厳島神社に参拝した時の写真を発見。
この事を記事にするつもでしたが、
何らかの理由でしておらず、
写真がそのままPC内で眠っていました。
訪問は平成28年冬の事で5年半前。
かなり古い話にはなりますが、
今回は厳島神社の事を記事にします。


大鳥居」。
境内の沖合約200mに立つ大鳥居
春日大社続きを読む

島根県益田市 飯浦

飯浦は石見国最西端の漁村集落で、
かつては津和野藩唯一の港でした。


益田市飯浦町周辺。
西は田万村に至る仏峠
東の海岸線は人形鼻
南は津和野城に至る傾成峠を控え、
北の日本海を含めて四方が難所でしたが、… 続きを読む

島根県浜田市 三隅宿跡

益田家4代益田兼高の次男益田兼信は、
三隅に移り住んで三隅城を本拠とし、
城下町を構築しました。
後に4代三隅兼連が三隅姓を名乗りますが、
兼連は後醍醐天皇の要請に応じ、
北朝方の足利尊氏と戦う事になります。… 続きを読む

島根県益田市 萬福寺(再訪)

萬福寺平安時代の創建とされており、
安福寺と称した天台宗の寺院でしたが、
鎌倉時代に廃れていたものを、
遊行上人4世呑海が再興して道場としました。
その後に領主益田兼見が現在地に移築し、
萬福寺と改称しています。
※墓地には兼見の墓もあります。


「… 続きを読む

島根県益田市 益田宿跡

益田豪族益田氏の本拠として発展し、
江戸時代はその大半が浜田藩領でした。
益田氏は石見守護藤原国兼を祖とし、
はじめ浜田御神本を拠点とした為、
御神本氏を称していましたが、
4代兼高が益田に拠点を移し、
以後は益田氏を名乗り、
石見国西部に領地を広げます。

後に守護大名… 続きを読む